神様は僕らのことを「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないもの」としようと願っています.
(エペソ5.27)もともと、神様に似せて作られた人間はそのように意図されています。自分の善悪判断を捨てて、人の言葉でも偶像の教えでもなく、神様のことばを求めそれに従うことは、本来僕らに与えられている神様の似姿としての強さや美しさや栄光が現れていくことです。ヨシャファテ王はそのようにして神様の栄光をあらわし、神様も彼と共にいて彼の王国を並外れて強くしました。
(2-6)
彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。
主はヨシャファテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルの神々に求めず、
父祖の神に求め、その命令にしたがって歩み、イスラエルの行いに倣わなかったからである。
主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャファテに貢ぎ物を持って来たので、彼には富と誉れが豊かに与えられた。
6,彼の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。
(12)
こうして、ヨシャファテはしだいに並外れて強大になり、ユダに城塞や倉庫の町々を築いた。
神様の命令に従うことは重荷とはなりません。(1ヨハネ5.3)神様に従うことは軽いことであり、安息と癒しがあります。(マタイ11.29-30)従うことは良い結果しかありません。ヨシャファテ王は主の命令に従うことが何よりも良いことだと確信し、国民全体に神様の律法を教えさせました。
(7-9)
彼はその治世の第三年に、彼の高官たち、ベン・ハイル、オバデヤ、ゼカリヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、ユダの町々で教えさせた。
彼らとともにレビ人も同行した。(…中略…)彼らはユダで教えた。主の律法の書を携え、ユダのすべての町を巡回して、民の間で教えた。
神様のことばを聞き従うことはあらゆる悪に勝利する方法です。聖書は「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」と言います。(ヤコブ4.7)そのように国をあげて従うようにしたときに、周りの国々からの攻撃はなくなりました。
(10)
主の恐れが、ユダの周りの地のすべての王国にあったので、ヨシャファテに戦いを仕掛ける者はいなかった。
同じように新約聖書は悪魔に対抗する武器として「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」と言います。(エペソ6.17)
神様のみことばに聞き従うことは、僕らが本来あるべき強さと栄光に戻っていくことです。神様は力と栄光に満ちています。その栄光のからだの一部として僕らは選ばれ召されています。みことばに従う時に僕らは「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないもの」となっていきます。ヨシャファテ王に与えられた栄光と力は全てが神様の現れです。そしてそれは僕らにも与えられるものです。「あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。」(2テサ1.12) ハレルヤ!
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