2022年12月15日木曜日

イスラエルの国民的祈りの歌アルコルエレのアレンジをさせてもらえて光栄でした。

イスラエル建国記念式典に初めて異邦人である日本人クワイヤーも参加させてもらい、ユダヤ人も異邦人も一緒になって賛美するというエペソ2章やイザヤ書にあるような聖書の実現のような歴史的なイベントに僕ら夫婦も参加して演奏する予定でした。…が、コロナで延期になってしまいました。その直前の東京での壮行会で演奏させてもらい、心が震えました。そういえば、このアレンジも年末の忙しい時期に納期が1週間くらいしかない!という状況の中でほとんど神様からアイディアが次々と降ってくるような感じでした。全てが主のみわざ、主の栄光です!

この頃強烈に聖書かやがて異邦人とユダヤ人が一緒に賛美することが教えられて感動していました。ローマ15章10節「異邦人よ、主の民(ユダヤ人)と共に喜べ」が自分に強く語りかけられている感じがして、また、エペソ2-3章の異邦人もユダヤ人もキリストにあって一つとなる、というメッセージがリアルに感じて、アレンジしながら、神様が歴史を動かしておられることの一つの役目をさせていただいている恐れ多い感覚の中で作業させてもらいました。その頃与えられたメッセージがこちらです。

 新約聖書 エペソ3.1-13 

 聖書は「奥義」の本です。「奥義」とは秘密だった神様の計画が明らかになることです。カーテンが開かれるイメージです。その奥義とは、何千年前も他の人とは交わらなかったユダヤ人が異邦人(ユダヤ人以外)と一体になることです。 (5-6節) この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。 この奥義が明らかになるまでは、ユダヤ人たちは異邦人を見下していたし、交わろうとはしませんでした。異邦人もまたユダヤ人を嫌ってきました。ところが、両者が一緒にイエス様に繋がり、一つになり、一緒に神様の子どもとなり、同じキリストの体に繋がり、一緒に祝福され喜ぶことが神様のご計画だなんて驚きです。 イエス様が来られる以前も両者は分断されていたけど、その後もキリスト教2000年の歴史の中で、異邦人のクリスチャンたちはユダヤ人たちを嫌い、殺してきました。ユダヤ人たちは隔離された場所だけで生活を余儀なくされ、教育を制限され、財産を没収されたり、理由もなく告訴されることが何度もありました。戦時中には600万人のユダヤ人が虐殺されました。悲しいことに、彼らを苦しめることに賛成した多くの人はキリスト教会の人たちです。ユダヤ人たちにとって異邦人は恐ろしい殺人者です。特にキリスト教会は脅威であり恐怖です。何世代にもわたって苦しめられ分断され、憎しみ恨んできた両者が一つになるなんて、人間の常識ではありえない、だのに聖書は「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」と言い切ります。(6節)これはすごすぎる奥義です。そしてこの和解と一致を聖書は「福音」と言います。 (7-9節) 私は、神の力の働きによって私に与えられた神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。 すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです。 使徒パウロという人は聖書の多くの部分を書き伝えたスゴイ人です。…ですが、彼がスゴイのではなく、小さな、無価値な小さな彼にとんでもない大きな役目を与えてくださったのは神様であり、全部が神様の恵みであり賜物(プレゼント)です。人の能力とか権力とかそのようなことには関係ありません。神様はこのすごすぎる計画を世界中に伝えておられます。人間が扱うには大きすぎる知恵です。だのに、神様は人間の集まりである「教会を通して」知らされるとおっしゃいます。(10節) (10-11節) これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、 私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。 しかも、神様は「神のきわめて豊かな知恵」を弱くて欠点だらけの教会を使って「天上にある支配と権威」にまで知らせようとされています。普通は天上から与えられるのが神様のメッセージですが、ここでは逆です。まず教会に先に知らされて、そして「天上にある支配と権威に」知らされます。(10節) 教会が預かっている福音や奥義は人間の能力をはるかに超えたものです。そのすごいことを「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」(8節)に預けてくださる神様です。そしてモメごとや自慢が絶えないような残念な弱い人たちの集まりが教会なのに、「教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされる」と聖書は言います。(10節)そのような弱い人たちを用いてくださるのは100パーセント神様の恵み、プレゼントです。僕らが自慢できるものは何もありません。 神様のご計画はすごすぎます。それを世界中に知らせる方法も人間から見るとすごすぎます。リスクありすぎです。僕らが考える効率化とか、「もっとこうすればうまくいくのに」という次元とは全然違います。神様のなさることは僕らの考えと全然違います。福音をすべての人に伝える使命は特権だしプレゼントです。そのためにパウロは投獄され監視された生活をしました。 (1節) こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。 パウロは福音を伝えるために苦しみも受けました。でも、それはがっかりすることでなく特権です。 (13節) ですから、私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。 僕らも預かっています。イエス様によって赦され受け入れられる福音をすべての異邦人に伝える役目です。異邦人もユダヤ人も一緒に「このキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。」(12節)神様のご計画はすごすぎます。人間からみたら「無理!」ということを主はご計画なさっています。人間から見たら残念な人たちを選んで用いておられます。主だけがあがめられますように。人間の能力の弱さや小ささを見てがっかりすることがありませんように。ハレルヤ!









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