キリスト教の歴史を学ぶと恥ずかしい罪の歴史がたくさん出てきます。そして、今もキリスト教会の中にはちょいちょいスキャンダルがあるし、自称クリスチャンでも本当かどうかわからない人がたくさんいます。
イエス様は信者の中には必ず偽物が混じっている、とおっしゃいます。しかも、僕ら人間はその判断を間違うことがあるので、その偽物(と思われる人)を排除しないで、そのままにしなさい、とおっしゃいます。
(24-26節)
イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は次のようにたとえられます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。
麦と毒麦はそっくりだそうで、見分けが難しいそうです。
しもべたちは「毒麦を抜き集めましょうか」と提案しますが、主人は「そのままにしなさい」と言います。理由は、間違って良い麦を抜かないためです。
(27-30節)
それで、しもべたちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』主人は言った。『敵がしたことだ。』すると、しもべたちは言った。『それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。』しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
イエス様はこの話を解説されました。
(37-40節)
イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。
教会には本当の信者と偽物が混ざっている、とイエス様はおっしゃいます。僕らは他人を評価したりさばいたりするのが大好きで、「あの人の信仰は怪しい」という話をしたがるし、そういう人を攻撃して排除したがるのが僕らです。ところがイエス様はそのような判断や攻撃はしないで、「育つままにしなさい」とおっしゃいます。理由は「良い麦も一緒に抜き取るかもしれない」からです。僕らがあの人はダメ、この人はダメという判断はアテになりません。イエス様が命をかけて愛している人を攻撃してしまうことがあるからです。聖書は裁きは神様に任せなさい、と言います。
(1コリント4:5)
あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
イエス様が最後に正しく、正確に判断しさばいてくださいます。僕らがさばいたり排除しなくても大丈夫です。本物を攻撃していたらそれこそ大変です。
イエス様を信じる人は必ず成長します。どんな小さな信仰でスタートしても、必ず成長します。でも同時にイエス様の王国(ご支配)が広がるところには、必ず悪魔の働きも入るし、そこに悪魔も住もうとします。イエス様はここで悪魔のことを「鳥」と言っています。(13章4,19節)
(31-32節)
イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。
どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」
からし種は小さく、1ミリくらいの種が大きければ2-3メートルにもなるそうです。そのようにイエス様への信仰、そしてイエス様のご支配は成長します。が、そこにも敵はやってきて共存しようとします。
罪は捨て、聖さを求めるようにと聖書は繰り返して教えています。が、どんなに頑張ってもこの地上に生きているうちは罪の影響から逃れることはできず、完全に聖い信仰者はいないし、聖い教会はありません。毒が混じっているとイエス様がおっしゃいます。大事なことは、忍耐して善を行い、先走って裁かず、最後に正しい裁きをしてくださる神様を信頼して愛することです。裁きは神様にお任せしましょう。
(1テサ 5:15)
だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
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