2023年1月31日火曜日

マタイ14.1-12

 恐れは人を縛ります。「人を恐れると罠にかかる」と聖書は言います。(箴言29:25)「怖いから◯◯しとく」という気持ちはいつも僕らにつきまといます。ところが、恐れは僕らをさらに追い詰めます。正解は神様だけを信頼し、神様の前にへりくだり、神様に従うことですそこには安心感があります。


ヘロデ王はいつも自分の思い通りにしたい、と言う高ぶりと、人から悪く思われたらどうしよう、と言う恐れの間で苦しんだ人のようです彼は兄弟の妻を寝取りました。それをヨハネに「正しくない」と責められました。気に入らないことを言うヨハネを殺したい気持ちもありつつ、でも、ヨハネを支持する民衆からも良く思われたいという気持ちの間で苦しみました。


(3-5節)

実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です。」と言い張ったからである。ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。


人を恐れ、すべての人に気に入られようとするのは無理ですそれでも、人を恐れ人に振り回されてしまうのが僕ら人間の実情です。本来、僕らが恐るべきはただ一人、神様だけです預言者ヨハネは権力者であるヘロデ王に気に入られようとはせず、ただ真実を語り続けました。


一方、ヘロデはあらゆる人に自分を良く見せようとします。自分の誕生パーティの余興でダンスを見せてくれた不倫相手の娘に「願うものはなんでもあげる」と行って高ぶります。それがさらに自分を追い詰めます。娘は母親(ヘロデの不倫相手のヘロデや)にそそのかされて「ヨハネの首をください」と要求します。ヘロデは「心を痛めた」と書かれています。悪いと知りつつ不倫相手とその娘に気に入られること、そして、列席の人々に良く思われることを選び、ヨハネを殺します。


(6-11節)

たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。


悪いと知りつつヨハネを殺したことは、ヘロデを苦しめ続けました。

イエス様の噂を聞いたヘロデは、自分が殺したはずのヨハネが生き返ったと思い込んで恐れます。


(1-2節)

そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」


罪は僕らを苦しめ、恐れさせます。罪もその背後にいる悪魔も人を恐れさせ、脅し、怯えさせるのが大好きです

神様は真逆です。神様は僕らを恐れさせるのではなく、安心させようとしています。

イエス様を信じる人は、すべての罪が赦され無罪とされています。今日もイエス様は僕らのために弁護し、無罪を宣言していてくださっています。


(ローマ8:33-34)

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです


人に気に入られなくても、イエス様を信じる人は神様に気に入られているし、愛されている子どもです。神様の愛と祝福を知れば知るほど、僕らは人の目を恐れて振り回される必要が無くなります。


(ローマ8.39)

どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


(1ヨハネ4:18)

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです


恐れている人は誰でしょう。恐れに振り回される必要はありません。自分の思い通りにならなくても、人から良く思われなくても大丈夫です神様の愛から引き離すものは何もありません。ハレルヤ!


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