僕らが思うよりもずっと神様は大きく、神様の愛と愛は完璧です。
この神様を知らないと「自分で稼がねば」「自分で手に入れなければ」と思い不安を抱えたまま努力し続けます。
神様を信じる、という人でも「自分が頑張るから神様も手を貸してくださいね」のように、お手伝いさんのように小さく思う人もいるようです。神様の国はそのようなものではありません。神様は全てを造り、全てを生かし、全てを与える方です。僕らの想像をはるかに超えています。そして僕らはその神の国に招かれています。イエス様は完全な神の国と僕ら人間の反応をわかりやすく教えてくださいました。
(15-20)
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
するとイエスは彼にこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべを遣わし、招いていた人たちに、『さあ、おいでください。もう用意ができましたから』と言った。ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、ご容赦ください。』別の人はこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。どうか、ご容赦ください。』また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』
神様は完璧な宴会に招いてくださる主人のようです。そこでは全ての必要が与えられ、何の心配もいりません。
ところが、招かれた人たちは自分の力で、自分の持ち物で、自分で作り上げるものを優先したいと願い、断ります。彼らは裕福です。畑を買うことができ、10頭の牛を買うことができる人たちです。そして畑や牛を使ってさらに収穫を増やそう、結婚して家族も増やそうと思っています。神様よりこっちの方が大事だと言っています。実は、それら良いもの全てを与えてくださったのは神様です。彼らは全てを満たす神様を知らず、自己努力こそ全てだと思って誘いを断ります。そんな彼らを神様は非常に怒ります。
(21-24)
しもべは帰って来て、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』
しもべは言った。『ご主人様、お命じになったとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』
すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。
言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」
次に主人は「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」を招きます。自分の弱さを認める人は神様の恵みや招きを受け入れやすい人たちです。自分で稼げない、とわかっているからです。神様の国はそのような人たちの国です。(マタイ5.3)
さらに、主人は「街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。」と言います。
人生は自分の努力で作り上げるものでなく、神様からのプレゼントです。そして、神様は完璧な神様の国に僕らを招いてくださってます。その国は、努力して入るところでも良い行いを積んだ人だけが入るところでもありません。今日も神様が愛して招いてくださっています。「無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。」と言っておられます。全てを満たす国にきて欲しい、と神様の側が心から願ってくださっています。僕らの入場資格は神様の恵みと愛を信じて「断らない」ことです。
僕らが思うよりもずっと神様の国は素晴らしい世界です。神様の国を第一に求め、神様を優先しましょう。この世での必要は全て与えられます。心配しなくても大丈夫です。今日も神様が素晴らしい世界に招いてくださっています!ハレルヤ!
(マタイ 6:33)
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
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