羊は、迷子になると自分で戻って来ることができないそうです。群れからはぐれた羊はその場でうずくまって野獣に襲われたり、崖から転落したりで死んでしまうことが高いそうです。同じように、神様から離れた人間は無力です。自分では神様のところに戻ることができません。ただ死を待つばかりです。そのような人間を神様の方が探し、連れ戻してくださいます。イエス様は言われました。
(4-7)
「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
「一匹くらい、いなくなってもいいや」という神様ではありません。離れてしまった罪人を神様は「見つけるまで」探し続けてくださる方です。神様が連れ戻してくれるまで、人は全く無力です。それでも神様はあきらめません。最後まで探し続けてくださいます。どんなに時間がかかっても罪人が悔い改めて戻ることは神様の願いです。そしてたった一人が悔い改めて戻って来ることは天では大きな喜びです。
僕らも神様に見つけ出され、救い出して頂いた罪人です。イエス様はあきらめずに探し続けてくださいます。
(8-10)
また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」
銀貨は自分で戻ることができません。歩くこともできません。でも、失くした女の人は「明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く」探し続けてくれます。これは神様から離れた人を探し続ける神様の姿です。どんなに時間がかかっても見つかるまで探し続け求めつづけてくださる方です。
僕らは神様から離れた人を簡単にあきらめてしまいます。でも、イエス様にとっては失ってはならない大事な人です。イエス様は最後まで探し続けておられます。あきらめません。
罪人たちを受け入れて一緒に食事をするイエス様は当時の宗教指導者たちから文句を言われました。でも、イエス様にとっては失ってはならない大切な人です。
(1-2)
さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。
今日もイエス様は罪人を愛し、罪人を求め、罪人を探し続けておられます。そして、彼が帰って来ると天では大歓声が起こります。大切な一人です。僕らも大事にしましょう。神様の宝である罪人を見下したり見切ったりすることがありませんように。
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