2023年1月9日月曜日

ルカ15.11-24

 僕ら人間はもともと神さまの子どもです神の子どもとしてを愛され、子どもとして良いものを与えられ、守られ、育てられて来ました。だのに、僕らは神様から離れたがり、神様の世話にはならず自分だけで生きていけるかのように錯覚します。イエス様はそれを例え話で言われました。


(11-16)

イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。


神様は裏切られても、どんなに悪くなっても息子を愛し続け待ち続ける父親のようですイエス様は続けて言われました。


(17-24)

しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。


神様は帰ってくる息子を遠くから見つけて走り寄って抱きしめてくださる父のようです。ボロボロになった息子を抱きしめ、雇い人ではなく最高の息子として迎え入れてくださいます。「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」(19)と言われています。それは最高のパーティのようです僕らは神様の子どもです。もともと神様の子どもでしたが、裏切って罪を犯し、神様から離れていました。それでも神様はずっと待っていてくださいました。罪人を見捨てるのではなく、かわいそうに思い続け、待ち続けてくださっていました。神様の愛は尽きることがありません。神様は見捨てることがありません。今日も神様は僕らのお父さんです。最高のお父さんですハレルヤ!

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