2023年1月9日月曜日

ルカ18.9-14

 僕らはいつも自分は正しいと思いたいし、認められたいものですところが、神様の評価は違います。自分にがっかりし、弱さや醜さを認める人を神様は受け入れ、赦し、愛してくださいます。反対に、自分は正しいと思い、誇り、高ぶり、人を見下す人は神様に嫌われます。


(9-14)

自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。

「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。

パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。

私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』

一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」


良いことができたとすれば、それは神様から与えられたものです僕らから出たものはありません。「自分から良いものが何も出ない」と自覚する心貧しい人は幸いです良い行いの全ては神様からのプレゼントです僕らは自慢できるようなものは何もありません。ただ、与えられただけです。自分にがっかりする時、感謝しましょう。自分から何も出ないことがわかる時、感謝しましょう。うまくいかない時、愛せない時、感謝しましょう。僕らから出るものは何もありません。ただ、神様が憐れみ、愛し、ゆるし、認めてくださっています!ハレルヤ!


マタイ 5:3-6

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです

柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです

義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです

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