お金は力になります。お金があれば欲しい物が手に入るし、楽しいこともできます。お金があれば他人に動いてもらうこともできます。お金で人に頼めば自分の時間もできます。お金である程度トラブルを解決することもできるし、お金は何にでも変身します。人々はお金を信頼し欲しがります。一方、神様の国は神様が必要を与えてくださる世界です。神様は僕らにお金を預けてくださいます。預かったお金を用いて神様のご計画に参加するのが僕らの役目です。人によって預かる量は違います。(ルカ19.12-25)量は違ってもお金は全て神様からの一時的な預かりものです。イエスはあるお金持ちの指導者に言われました。
(22-23)
イエスはこれを聞いて、彼に言われた。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
この人はイエス様に言われても「お金だけは手放せない」と思って与えることができませんでした。イエス様が貧しい人たちに与えるように言われたのを悲しんだようです。イエス様は言われます。
(24-25)
イエスは彼が非常に悲しんだのを見て、こう言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。
金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
お金を手放せない人は、自分の力も命もお金しだい、と思い、お金によって生きていると思う人です。神様によって生かされ、神様が命も力も必要は全て与えてくださることを信頼していないのと同じです。
小さな子どもはお金で生きていると思っていません。子どもは食べ物も住まいも服も全部与えられ、依存しています。自分の力でも稼ぎでもありません。イエス様は言われました。
(16)
イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
イエス様は僕らをそのまま受けいれ、愛し、養ってくださる方です。僕らはイエス様を信頼し、子どものように必要なもの全て与えられて、安心して生きていけます。お手本は必要を与えられて安心している子どもたちです。「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」とイエス様は言われます。
僕らの人生の全部、持ち物全部、人間関係の全部は神様から与えられた恵みです。これからも必要なことは与えられます。神様を信頼しましょう。愛されている子どものように、安心して単純に信頼しましょう。ああしなければ、こうしなければ、ではなく、ただ神様に受け入れられて安心している子どもです。「神の国はこのような者たちのもの」です。(16)
今日も心配いりません。神様の大事な子どもです。大丈夫です。必要は必ず与えられます!
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