永遠は長く、人生は短いです。僕らは短い人生の損得ではなく永遠の祝福や平和、そして永遠のいのちのために生きるのが正解です。イエス様こそいのちと平和を与えてくださる王様です。しかも永遠に、です。イエス様をお迎えすることは永遠の世界の支配者をお迎えすることです。そして、イエス様を拒否する人たちは、永遠のいのちと平和を拒否して滅びに向かっていきます。でも、それはイエス様にとって激しい悲しみです。イエス様はエルサレムを見て激しく泣いた、と書かれています。それは、彼らがイエス様を拒否し、エルサレムが破壊されるからです。
(41-44)
エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。
「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。
やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、
そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」
文字どおり、エルサレムはAD70年に滅ぼされました。滅ぼされることはイエス様にとっては悲しみであり嘆きです。滅んでいく人や町を見て、イエス様は今日も泣いておられます。今も神様は「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ3.9)
イエス様が「悔い改めなさい」と命令してくださるのは、僕らへの愛です。ひとりでも滅びることを願っていないからです。イエス様は神殿とを商売に利用している人たちを激しく怒りました。
(45-46)
それからイエスは宮に入って、商売人たちを追い出し始め、
彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした。」
イエス様が怒って神殿での商売をやめさせるのは、ひとりも滅びないための愛ゆえです。僕ら人間は永遠のいのちや平和よりも、目先の損得で動いてしまいます。僕らの目は見えなくなっていて、永遠のいのちや祝福を見失っています。イエス様は今日も聖書を通して僕らに警告してくださっています。僕らの体も、教会も、祈りの家です。それは永遠の神様との交わりの家です。イエス様は今日も聖書を通して僕らの目を開いてくださいます。
イエス様は今日も滅んでいく人たちを泣いておられます。そして、僕らに目を覚まして、祈るようにと警告してくださっています。
(1ヨハネ 2:17)
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
僕らがはかない欲のために生きるのではなく、永遠の神様との交わりを第一にして歩めますように。
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