聖霊によらなければだれも、「イエスは主です。」と言うことはできないし、聖霊を受けた人だけが特別な力を受けてイエス様の証人となります。(1コリント12.3、使徒1.8)逆に、聖霊を受けていなければ、どんなにヤル気があってもはかない人間の力です。すぐにイエス様より自分です。ペテロはその実例です。彼はイエス様が逮捕される前はヤル気満々で言いました。
(33)
「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
この後イエス様は逮捕され、ペテロも「あなたも仲間だ。」と言われます。ペテロは怖くなって「いや、私はその人を知らない」「あなたの言っていることは分からない」とごまかします。人間の力ではイエス様に従っていくことはムリです。
(56-60)
すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」
しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。
それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」
しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。
ペテロはイエス様を「知らない」と言ったことはイエス様があらかじめ言っておられた通りです。ペテロはそんな自分にがっかりして激しく泣きました。
(61-62)
主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って、激しく泣いた。
聖霊によらなければだれもイエス様に従うことはできません。ペテロも僕らもムリです。ところが、ペテロは聖霊を受けた時に変わりました。逮捕されても脅されても殺されてもイエス様は主です、と証言し続ける人になりました。
(使徒 4:8-12)
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。(…中略…)この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
(使徒 4:19-21)
ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。
(使徒 5:29-33)
ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。(…中略…)彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。
ペテロはもう自力でイエス様に従っているのではありません。彼は聖霊によって帰られました。同じように僕らには聖霊が与えられています。聖霊は僕らを作り変え、イエス様を証言する人にしてくださいます。迫害されても、です。
(マタイ 10:19-20)
人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
イエス様に従うことができるのは、自分たちのヤル気や力によりません。聖霊の働きです。僕らには聖霊が与えられています。聖霊に委ねましょう。聖霊は僕らを確信と平安で見たし、「イエスは主です。」と証言させてくださいます。聖霊による完全な愛は恐れを締め出します。ハレルヤ!(1ヨハネ4.18)
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