神様は何もないところから世界を造る方です。石ころからでも命を作ることができる方です。(マタイ3.9)イエス様はご自分が復活することで、神様としての力を証明されました。(ローマ1.4)復活することは死を超えた全ての権威を持っていることの証明でした。このイエス様を信じ受け入れる人には死は絶望ではありません。
イエス様を知らなければ、死は僕らにとって終わりだし恐怖です。でも、イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11.25)と言われ、それをリアルに証明してくださいました。まず、イエス様の復活を知らせてくれたのは神様の御使いでした。その輝く顔や白く光る服は天の姿です。天の御使いを見ただけでも普通の人は恐怖を感じます。御使いは地震を起こし、墓の蓋の大きな石を転がしました。それを見た墓の番兵たちは恐怖のあまり気絶してしまいました。
(1-4節)
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
墓を見にきた女性の弟子たちも天の御使いを見て恐怖に震え上がりました。ところが御使いは「恐れてはいけません」と言います。御使いはイエス様が復活したことを弟子たちに伝えなさい、と言います。女性たちは恐怖と喜びが混ざった気持ちで他の弟子たちに知らせに行きます。
(5-8節)
すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
神様の言葉は実現します。イエス様はかつて「人の子(イエス様のこと)は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」(マルコ9.31)と予告していました。そして、御使いは「前から言っておられたように」よみがえったと言います。神様の言葉は実現します。イエス様のことばは単なる教えではなく、「現実になる出来事そのもの」です。
女性の弟子たちは誰よりも早くイエス様に直接お会いしました。
(9節)
すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
「おはよう」は原文では「喜びなさい」です。イエス様の復活は僕らにとっても喜びです。死は終わりではないし、イエス様にとって死を含めて敵はないからです。イエス様はどんな人も回復させることができます。イエス様が来られるまでは「死」は人を支配する王様でした。(ローマ5.14)でも、イエス様が復活したことによって「死」は王者ではなくなりました。イエス様こそが死を超えた僕らの王様です。
イエス様は復活されました。そして、その権威と命は僕らにも与えられています。僕らが「これはもう無理」とあきらめていることはあるでしょうか。イエス様にとって終わりとか限界はありません。死を命に変える権威をもち、絶望を希望に変える方です。イエス様は「喜びなさい」と今日も僕らに言ってくださいます。イエス様に限界はありません。イエス様こそ僕らの希望、命、全てです!
(1テサ 5:16-18)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
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