イエス様は全ての力を持っています。命に関する全ての権威を持っていて、死んでも復活する力を持っています。このイエス様が「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言ってくださいます。
イエス様に全ての力があるので、僕らは安心できます。自分になくてもイエス様が全部持っています。
自分にお財布がなくても、無限のお金を持っているイエス様が一緒です。自分に知恵がなくても無限の知恵を持っているイエス様が一緒です。自分から愛が出なくても、無限の愛を与えてくださるイエス様が一緒です。
(18-20節)
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
クリスチャンとは、バプテスマを受けてゴール、終了ではありません。イエス様は「あらゆる人たちをイエス様の弟子にしなさい」とおっしゃいました。イエス様の弟子になっていくことが使命です。全てのことを守り従うように教え、教えられて僕らは弟子となっていきます。また、僕らも他の人たちがイエス様の弟子になれるように教え助けます。これは、僕ら人間の力でなく、「いっさいの権威」を持っているイエス様が一緒にしてくださいます。
全ての力と富と知恵はイエス様が持っています。そして、イエス様がいつも一緒です。僕らは無力でも、安心してイエス様に従えます。
今日もイエス様が一緒です。イエス様こそ全ての権威を持っています。
反対に、この世はお金にすがります。お金はある程度人を動かす力を持っているからです。
(12-15節)
そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。(…中略…)そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
お金は人を動かす力さえ持ちます。祭司長たちはたっぷりと兵士たちにお金を与えてイエスの死体は弟子たちに盗まれた、という話を広めました。
お金は真理さえねじ曲げます。お金の力を神のように求めることは全く価値がないどころかむしろ有害です。
(1テモテ 6:9-10)
金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
全ての権威を持っているイエス様が一緒です。
お金を求めなくても大丈夫です。イエス様が僕らから離れることはありません。
(ヘブル13:5)
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
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