2023年1月2日月曜日

エレミヤ40章

 どんな会社でも組織でも権力争いがあります。これは国のトップであっても幼稚園児でも同じです教会の中にもあります。人間の罪の基本はいつも人の上に立ちたい、人を支配したい、思い通りにさせたい、神のようになりたい、と言うものですエレミヤの時代、エルサレムは破壊されユダは国を失い全てを失いました。占領し破壊したバビロンはユダの町に何も持たない貧民だけを残しました。その貧民を治めるためにバビロンから任命された総督がゲダルヤという人です


(39.10

親衛隊の長ネブザルアダンは、何も持たない貧しい民の一部をユダの地に残し、同時に彼らにぶどう畑と畑地を与えた。


全てを失った貧民を治める総督の立場でさえ、権力争いが起こります。破壊が終わり、貧民たちを治めるミツパという町と総督ゲダルヤの周りには野から帰ってきた元軍人や部下たちも集まってきます。また、外国に逃げていた人たちも集まってきます。


7

野にいた軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地の総督にして、バビロンに捕らえ移されなかった男、女、子どもたち、その地の貧しい民たちを彼に委ねたことを聞いた。


11-12

モアブや、アンモン人のところや、エドムや、あらゆる地方にいたユダヤ人もみな、バビロンの王がユダに人を残したこと、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを彼らの総督に任命したことを聞いた。

そこで、ユダヤ人はみな、散らされていたすべての場所からユダの地に帰って来て、ミツパのゲダルヤのもとに行き、非常に多くのぶどう酒と夏の果物を収穫した。


人が集まると必ず「誰が偉いか」と比べ合い、妬み合うのが人間です。破壊され、恥を受け、全てを失ったはずのユダの人たちの間でさえ「自分はあいつより上」と妬み、憎み、殺し合いが始まります。イシュマエルという人はゲダルヤが総督であるのが気に入らずに殺します。表面上は仲良く食事をするように見せかけて、食事の席でゲダルヤと一緒にいた人たちも殺してしまいます。


(41.1-3)

ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、王の高官と十人の部下とともに、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに来て、ミツパで食事をともにした。

ネタンヤの子イシュマエルと、彼とともにいた十人の部下は立ち上がって、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを剣で打ち殺した。イシュマエルは、バビロンの王がこの地の総督にした者を殺した。

ミツパでゲダルヤと一緒にいたすべてのユダの人たちと、そこに居合わせたカルデア人の戦士たちを、イシュマエルは打ち殺した。


全てを失ったはずの人たちでも権力争いがあります。これは人間の罪ですクリスチャンもまたこの高ぶりの罪がいつもまとわりつきます。イエス様は言われました。


(マタイ 20:26-28

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子(イエス様)が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」


イエス様は真逆でした。


(ピリピ2.6-8)

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。


イエス様を信じた人はこのイエス様の御霊を受けています。エレミヤはバビロンの王様によって釈放され、身分が保証されましたが、あえてユダの貧民と一緒に生活する方を選びました。


6

そこでエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのところに行って、彼とともに、その地に残された民の間に住んだ。


僕らは上に行きたがります。でもイエス様の御霊は僕らをしもべになるように導かれます。僕らが今日も御霊に自分の心も体も明け渡しますように。もはや、生きているのは僕らではなく、キリストです。ハレルヤ!


(ガラテヤ 2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです

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