悪霊を追い出してくださるのはイエス様の権威です。僕らの力ではありません。イエス様が悪霊を叱ると悪霊は出て行きます。悪霊はイエス様の命令には従います。
(38-39)
すると見よ、群衆の中から、一人の人が叫んで言った。「先生、お願いします。息子を見てやってください。私の一人息子です。
ご覧ください。霊がこの子に取りつくと、突然叫びます。そして、引きつけを起こさせて泡を吹かせ、打ちのめして、なかなか離れようとしません。
(42-43)
その子が来る途中でも、悪霊は彼を倒して引きつけを起こさせた。しかし、イエスは汚れた霊を叱り、その子を癒やして父親に渡された。
人々はみな、神の偉大さに驚嘆した。
イエス様の権威だけが全てです。…なのに、人間はいつの間にか自分の力でできる、と誤解します。弟子たちは悪霊を追い出せる、と誤解したようです。でも、できませんでした。
(40)
あなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
弟子たちはいつの間にか「俺たちにはできる」と思い、さらには「誰が一番偉いか」という話に熱心になっていました。僕らがイエス様ではなく、自分の力を求め、それを誇る時にはイエス様を完全に忘れています。彼らにも僕らにも悪霊を追い出す力はありません。力は全てイエス様のものです。だのに、「誰が一番偉いか」という話が僕らは大好きです。
(46)
さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
イエス様は無力な子どもをご自分の前に立たせました。「誰が一番偉いか」と力や立場を求める弟子たちとは正反対の子どもです。力のない、保護されるしかない立場が子どもです。そのような立場の子を受け入れることこそが、イエス様を受け入れることです。
(47-48)
しかし、イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ、彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。
知恵や力や立場を求めることとは正反対です。神様に守られ、愛され、保護されるしかない、それを受け入れることです。しかも、そのような人こそ一番偉いとおっしゃいました。
(48)
あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」
僕らは力を求めます。でも本当に力のある人とは、イエス様に信頼し、イエス様に頼り切る小さな人です。僕らは偉くなりたいと思います。でも、本当に偉い人とは、イエス様の力だけを求め、頼る小さな人です。「一番小さい者が、一番偉いのです。」小さな人こそ、イエス様に頼り切ることができる人です。イエス様に頼る人こそ、最高の人です。
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