イエス様を信じた人はそれで一生大丈夫、一生安泰、ということはありません。一度信じたら天国のキップが保証されるのでもないようです。どんなに素晴らしい神様体験をしても、どんなに神様の力と恵みと愛に感動しても、人間は神様を忘れやすく、罪に流れやすいし、堕落した人の実例は山ほどあります。素晴らしい奇跡の体験といえば、イスラエル人たちはすごい奇跡を何度も体験しています。だのに、イスラエル人たちは神様を忘れます。昔の体験や恵みにあぐらをかいていてはダメみたいです。
イスラエル人たちは400年もエジプトの奴隷でした。神様は彼のために海を二つに分け、その中に道を作って救出してくださいました。それは驚くような、絶対忘れられない国民的な感動体験です。その後も、何もない荒野でいつも神様の雲の柱が導き続けてくださったこと、水を与え続けてくださったこと、食べ物を与え続けてくださったこと、全部がすごい経験でした。
1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、(モーセをリーダーとして、海が分かれて救われた経験のこと)
3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、(天から降ってくるマナという食事を食べ続けた経験のこと)
4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。(水がない土地で岩から水が出て飲み続けた経験のこと)その岩とはキリストです。
その時は感動したし、神様に感謝したし賛美しました。それは事実です。だけどほぼ全員が堕落し、神さまよりも偶像を選び、神様よりも淫らなことを選び、神様に感謝するよりも文句をいい、神様が用いているリーダーに反抗し、滅ぼされて行きます。
5 にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
聖書は僕らに先輩たちの恥と失敗を伝えています。それは、僕らも同じく失敗しやすいことを教えるためです。
6 これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。
毎日新しく神様に感謝し日々神様の言葉を求めることがなければ、すぐに目に見えるもの、かたちあるものによりすがりたいと思ってしまいます。イスラエル人がむさぼったように、僕らも、この世の楽しみの中にどっぷりつかりたいと思ってしまいます。
7 あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った。」と書いてあります。(イスラエル人たちは金の子牛を作って偶像パーティをしたことが出エジプト32章に書かれています。)
8 また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。(この事件も民数記25章に書かれています。)
9 私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。(神様に反抗し、文句を言い、多くが滅ぼされたことが民数記21章に書かれています。)
10 また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。(神様と指導者モーセに反抗して多くの人たちが滅ぼされました。民数記16章の最後です。)
11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
あんなにすごい神様体験をし、感動し賛美した人たちのほぼ全員が堕落し、神様を裏切り滅ぼされて行きました。だったら僕らのような普通のクリスチャンは簡単に神様から離れると思います。中でも「自分は大丈夫」と思う人が一番危ないようです。
12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
逆に「自分は弱い」と思っている人は安全です。その通りだからです。本当に僕らは弱いです。だからパウロはアスリートのように自制すると言います。彼は自分を放っておいたら失格者になることがわかっていました。
(1コリント 9:25-27)
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(…中略…)私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
1コリント10章13節の言葉は有名です。…ですが、これは誘惑から脱出させてくださる、という意味です。
13 あなたがたの経験した試練(誘惑やテストの意味です)はみな人の知らないものではありません。(先輩たちがみんな経験してきた誘惑です)神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
14 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
僕らは弱いです。昔の神様体験にあぐらをかいていても、それは役に立ちません。先輩たちがみんなそれで失敗しています。毎日新しく神様を求めましょう。神様は僕らがどれだけ弱い人間かご存じです。神様は誘惑からの脱出の道を与えてくださいます。毎日神様を求めましょう。新しく祈りましょう。新しく神様の言葉を求めましょう。そして、罪はどんな小さなでも避けましょう。どんなに高価に見えても、罪なら避けましょう。「大丈夫」と思ってる人は危ないです。
(マタイ 5:28-30)
わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
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