イエス様がこの地上に来られたのは「死ぬため」です。僕らが受けるべき神様の怒りと呪いを代わりに受けるための死です。イエス様の苦しみと死は僕ら罪人への愛です。イエス様はそれこそが地上に来てくださった目的だとはっきり予告していました。
33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子(イエス様のこと)は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
今までもイエス様は弟子たちにご自分の苦しみと死を予告していました。人の上に立つのではなく、人が救われるために苦しめられ、殺されます。人が救われるために、身代わりの代金として命を差し出してくださいます。
45 人の子(イエス様のこと)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
この世の権力者は他人を支配します。が、本物の権力者であるイエス様は、他人を愛するために、自分の支配権を放棄します。それこそが天の国で評価されることです。「自分のためにどれだけ手に入れたか?」ではなく、「他人のためにどれだけ手放したか?」です。
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
43 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
他人のために自分の時間や力を使い、自分の権力や立場を捨て、相手の下に立つことをイエス様はすごく評価してくださいます。天の御国ではそれが評価されます。この世の考えとは真逆です。
43 あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
でも、弟子たちは何度聞いてもそれが分かりませんでした。「このみことばが理解できなかった。」(マルコ9.32)と書かれています。ペテロの場合は「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と否定しました。(マタイ16.22)今回も弟子たちはイエス様の言ってることが分からず、ただ、なんとなく、次の政権では自分も偉くなること、支配者になること、権力を持つことばかりを考えています。
35 さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」
36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」(…中略…)
41 十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
これが僕らの実態だし本性です。人が自分より上にいることが気に入らず腹をたてます。
イエス様を信じ、イエス様の御霊を受けた人は、イエス様のご性格に似てきます。それは相手に仕える性格です。相手を自分より上の人だ、と思う心です。これはイエス様の心そのものなので、イエス様を信じ受け入れた時から変えられつづけます。御霊によって僕らは変えられます。イエス様のように低くされていきます。
3 へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5 (…中略…)それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
今日、隣の人を「自分より上の人」と思いましょう。弟子たちが何度聞いても分からなかったことが、聖霊を受けた人には分かります。神様の霊が与えられている人は、そのように変えられます。
隣の人は僕より上の人です。自分は相手より下の人です。イエス様は「みな(全員)のしもべ(奴隷の意味)になりなさい。」(44節)とおっしゃいました。
イエス様の御霊が僕らにも与えられています。イエス様のへりくだりの愛を僕らも与えられています。
今日出会う全ての人は僕らが仕えるべき尊い相手です。主のへりくだりは、僕らの心にも与えられています。ハレルヤ!
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