2023年2月20日月曜日

マルコの福音書12.28-34

 聖書は分厚くて読むのが大変です読んだとしても教えを守るのは大変すぎます。イエス様の時代の律法学者たちは、それに加えて書かれてないルールを613個も作り出してがんばっていました。そのような膨大な教えの中で、どれが一番たいせつなのか、ある律法学者がイエス様に質問しました。



28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」

29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」



聖書の教えは神を愛し、人を愛するという2つに要約されます。イエス様は「律法全体と預言者(旧約聖書全体のこと)とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と言われました。(マタイ22.40)

神様は天から見下ろして「命令、がんばれよ」という方ではありません。まさに命を尽くして僕らを愛してくださった方です神様を愛するつもりのない汚れた僕らのために、十字架で命を捨てるまで愛し抜いててくださいました。


もし、僕らが力を尽くして神と人を愛することができるとすれば、それは僕らから出たのでなく、神様からの愛が僕らにも与えられたものですイエス様を信じる人は聖霊が与えられます。聖霊は神様の霊ですそして、命がけの愛はこの聖霊によって僕らに与えられます。


(新約聖書ローマ5.5-6)

私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。


(新約聖書 1ヨハネ 4:10-11)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです



心を尽くして神様を愛することは、隣人を愛することに現れます。神様から愛によってだけ、愛しずらい隣人を愛するように変えられます。それは御霊の現れです



(新約聖書 1ヨハネ 4:11-13)

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。



神を愛し人を愛することは大変です。が、御霊によって与えられた愛は重たくありません。その愛はまるで湧き水のように内側から溢れます。愛は神様から与えられる賜物(プレゼント)です


(新約聖書 ヨハネ 7:38-39)

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。


(新約聖書 ガラテヤ 5:22-23)

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です



僕らの力ではなく、神様からの愛を求めましょう。

僕らは神様を愛し、人を愛するように作られています。すべてを尽くして神様を愛し、人を愛することは理想でも高すぎる目標でもなく、もともとの「自分らしい」姿です


(新約聖書 エペソ 2:10)

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです

0 件のコメント:

コメントを投稿