2023年2月16日木曜日

マルコの福音書14.27-42

 人間のがんばりとか決心は弱いものです。神様を信じるとか従う、と言っても都合が悪くなるとコロっとやめちゃうのが実態です使徒のペテロもイエス様に「絶対裏切りません!!」と言い張ったのですが、彼はイエス様が逮捕されると「あんな男は知らない」と3度も言います。イエス様はそのように弟子たちが今は強がっていても、すぐに自分を見捨てることを最初から知っていました。



27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。

28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」

30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。



今、僕らがもし「わたしはイエス様を信じます。従います」と思う人がいるならそれは聖霊の働きです僕らの決心とか努力とか気分なら消えていきます。聖霊によらなければだれも「イエスは主ですと言うことはできません。(1コリント12.3)

自分の力は弱いことを知っている人は幸いですその人は神様の力を求めるし、神様に頼ります。(マタイ5.3-6)でも、自分の力を信じる人は神様に求めもしないし、祈りもしません。僕らに必要なのは自分に重心がある「自信」ではなく神様を信じ頼る「神信」です


イエス様は自分が十字架で殺されるのが明日であることを知って苦しんで祈ります。そして弟子たちにも一緒に祈るようにと言います。ところが、ペテロたちは祈らずに寝てしまいます。「自分は大丈夫。」と思う人は祈りません。自分の弱さを知っている人こそ祈ります。


32 ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」

33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。

34 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどですここを離れないで、目をさましていなさい。」

35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、

36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯(苦しみ)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

37 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。

38 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」


イエス様でさえ、「自分は大丈夫」とは言いませんでした。十字架の苦しみを恐れ悲しんで祈り、この苦しみ(杯)を取りのけてください、と正直に祈ります。

イエス様でさえ、弱さ悲しさ苦しさを注ぎ出して祈るなら、僕らはなおさら祈りが必要です自分の弱さを正直に言う祈りは大事です。「自分は大丈夫」と思う人ほど危ないし祈りません。「自分は弱い」と思う人ほど祈ります。聖書は「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」と言います。(1コリント10.12)


祈りは自分の気持ちを正直に言うことです。聖書は「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。」と言います。(詩篇62.8)そして祈りは自分の願いがかなうように言うことではありません。

僕らのプランより神様のプランが最高であり最善です。だから、苦しみがあっても「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈るのがお手本です。(36節)

自分のいつもの祈りを見てみましょう。

どちらが多いでしょうか? 1、自分の願いや気持ちばかりを言う  2、神様の思い通りにしてください、とばかり言う。


自分の気持ちや願いを正直に言うことと、それでも神様の思い通りにしてください、と祈る両方が大事です


イエス様でさえ、十字架の苦しみの前に、夜通し祈って準備することが必要でした。イエス様の準備は祈りでした。神様に自分を明け渡し、命を明け渡し、裏切られ、呪われる準備は祈りの中で整えられました。祈りをしないで神様の働きをすることはできません。



39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。

40 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。

41 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。

42 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」


祈りこそ僕らの武具です。祈りこそ僕らの準備です

祈りこそ、何より優先すべきことです。(ルカ10.39-42)

僕の恩師は言いました。「牧師は副業。本業は祈り」


(エペソ 6:18)

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。


牧師に限らず、全ての信仰者の本業は祈りです祈りなしに動き回るなら、すぐに倒れてしまいます。本業は祈りです。今日も弱さを認めて正直に祈りましょう。そして、神様に自分を明け渡すまで祈りましょう。


(マタイ 6:10)

みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

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