2023年2月16日木曜日

マルコの福音書14.43-52

 僕らは問題が起こると多くの場合、目に見えるもので対処しようとします。どう答えようか、どう対応しようか、と知恵をしぼります。また、時には警察に届けたり、裁判で告訴したりします。ところが、聖書によると、信仰者はどんな問題にも圧倒的に力のある武器があると教えます。



(2コリント 10:4)

私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです



まず、聖書は武器とは肉の物(目に見える物理的なもの)ではない、と言います。力のある武器は霊的なものですエペソ書6章に神の武器が列挙されていますが、まとめるなら、「みことばと祈り」です。これら全ては見えないものですが、それこそが圧倒的に力のある武器です


イエス様が逮捕される直前まで、イエス様はひれ伏して祈っていました。これこそが霊的な武器だし、イエス様は完全に霊的な武装ができていました。一方ペテロは直前まで「自分は大丈夫です。絶対裏切りません」と言い張って祈りもせず、寝ていました。彼は霊的な武器を何ももっていません。


霊的な世界を忘れている人、知らない人は見えるものだけで対処しようとします。あわてたり、お金を無駄に使ったり、この世の知恵や力を求めたり、肉のもの(目に見えるもの)に走っていきます。イエス様を逮捕しにやって来た群衆は武器を沢山もってきました。ペテロも慌てて武器で戦います。



43 そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現われた。剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。

44 イエスを裏切る者は、彼らと前もって次のような合図を決めておいた。「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえて、しっかりと引いて行くのだ。」

45 それで、彼はやって来るとすぐに、イエスに近寄って、「先生。」と言って、口づけした。

46 すると人々は、イエスに手をかけて捕えた。

47 そのとき、イエスのそばに立っていたひとりが、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした。

48 イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕えに来たのですか。



群衆もペテロも恐れていますが、イエス様は恐れていません。聖書のことばと祈りの中で落ち着き、すでに勝利することを知っていました。人の目には敗北に見えます。しかし、イエス様はご自分の苦しみと死、そして復活に関するみことばを消化していました。


49 わたしは毎日、宮であなたがたといっしょにいて、教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのですしかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」


聖書のことばと祈りは圧倒的な武器です。悪魔は、何とかして僕らを肉の世界だけ(見える世界だけ)に閉じ込めようとします。問題を起こして、僕らを慌てふためかせ、落胆させ、自分たちの力で対処させようとします。しかし、僕らが立ち止まって祈り始めたら、立ち止まって神様のことばを思いめぐらすなら、問題は小さく見え、神様が既に勝利していることが見えてきます。イエス様は苦しみ殺されますが、その後に復活する勝利を見ておられました。僕らにはトラブルがつきものです。問題は問題ではなく、その時どう対処するかが大事なことです立ち止まって神様のことばを求め、確信を得るまで祈ることが最大の武器ですトラブルの時こそチャンスです。霊的な目が開かれるまで、平安をとりもどすまで祈りましょう。


(ローマ 8:35-37)

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、ですか。

(…中略…)私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです

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