イエス様がこの世に来てくださったのは「死ぬため」です。僕ら人間の罪を背負い、痛めつけられ、殺されました。そして、そのことは700年以上前から預言されていました。預言の通りにイエス様は逮捕され、イエス様は黙々とそれを忍耐されました。
55 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。
56 イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。(…中略…)
60 そこで大祭司が立ち上がり、真中に進み出てイエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
61 しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。
イエス様は議論して相手に勝とうとされません。不正を受け、ののしられてもののしり返さずにそれを受けました。
65 そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当てて見ろ。」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。
もしも僕らが不当な苦しみを受けながら仕返しをせず、忍耐し、悪に善で返すなら神様に喜ばれることだと聖書はいいます。イエス様がそのお手本です。
(1ペテロ2.19-23)
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。(…中略…)善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(…中略…)
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そのように、横暴な主人であっても、みことばに従わない夫であっても善を行いなさい、と聖書は教えます。(1ペテロ2.18、3.1)イエス様も、イエス様に従う人はののしられ、苦しめられることがあります。イエス様に従うことは、イエス様と一緒に嫌なこと、苦しいことも忍耐することです。ですが、その忍耐はそれだけで終わりません。イエス様は圧倒的な力をもってこの世にもう一度来られ、すべての人をさばきます。イエス様はご自分がそのようなキリストだと証言されました。
61 大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」
62 そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」
イエス様は黙って苦しみを受けて下る方です。その先に圧倒的な勝利があるからです。
僕らもイエス様と一緒に忍耐することができます。その先には勝利と喜びが約束されているからです。
(マタイ 5:11-12)
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
一方、この時のペテロは真逆です。苦しまないように、捕まらないように、イエス様を「知らない」と3度も言いました。
66 ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、
67あなたもあのイエスといっしょにいましたね。」
68 しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」と言って、出口のほうへと出て行った。
69 すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です。」と言いだした。
70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」
71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
神様の助けがなければ、神様が与えてくださる聖霊を頂かなければ、僕らもペテロと同じです。
損しないように、死なないように、苦しまないように、としか考えることができません。
でも、聖霊を受けた人は、恐れなくなります。
聖書は明らかにクリスチャンが迫害を受けることがあると言います。しかし、聖霊を受けている人はそれを恐れません。どのように対応したらいいか、聖霊が教え助けてくださいます。聖霊は僕らに平安を与えてくださいます。
(マルコ 13:9-11)
人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。(…中略…)
彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
今日も聖霊が僕らに教えてくださいますように。
イエス様に従い、イエス様と一緒に苦しみにも参加することがあります。
でも、それは神様に喜ばれる選択です。聖霊を受けた人だけがそれを喜んで忍耐することができます。
聖霊を求めましょう。必ず与えられます。ハレルヤ!
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