2023年2月16日木曜日

イザヤ62章

 神様は見えないし、神様の声は聞こえない、と人は思います。でも、神様は黙っている方ではありません。僕らに語り続け、しかも、僕らのために祈り続けてくださる方ですイザヤの時代のイスラエル人たちは神様を裏切り、その結果、国は荒れ果て、人々は捕囚にされ、何もかもが終わったように見えたどん底の時代です。「神に見捨てられた国」というのがピッタリの名前でした。ところが神様はそんな絶望的な国に対して語り続けます。


4 あなたはもう、「見捨てられている。」と言われず、あなたの国はもう、「荒れ果てている。」とは言われない。

かえって、あなたは「わたしの喜びは、彼女(エルサレムとその住民)にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。


誰もが「この国は神に捨てられた」と思いました。でも、神様は逆のことを語り続けます。「見捨てられている」と言われず、逆に「わたしの喜び」と呼ばれるようになります。現実を見れば、誰もが「それは理想です」「それはムリですと思います。でも、神様には不可能とかムリとかはありません。神様は黙りません。


1 シオン(神様を礼拝する場所エルサレムのこと)のために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。

その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。

2 (…中略…)あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。


神様を裏切り、浮気をし、ヒドい不幸のどん底にあるイスラエル人が、逆に神様の宝、誇り、喜びとなります。まるで結婚式で男女が最高の瞬間を味わうかのように、神様はイスラエルを愛し喜ぶ日が来ます。


3 あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。

4 あなたはもう、「見捨てられている。」と言われず、あなたの国はもう、「荒れ果てている。」とは言われない。

かえって、あなたは「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。

主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。

5 若い男が若い女をめとるように、あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。


僕ら人間はすぐあきらめます。でも、神様はあきらめていません。今日もイエス様は天で僕らのために祈っていてくださいます。「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」(ヘブル7.24-25)僕らは他人のために祈りの口を開きません。僕らが自分のことしか祈らず他人のためにお祈りしないのをみて、神様は驚いたと書かれています。「主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。」(イザヤ59.16)神様ご自身は、黙らず、祈りつづけ、希望を語り続けてくださる方です


たしかにイスラエルは(僕らもだけど)は「見捨てられたもの」と呼ばれてもしょうがない者でした。自分勝手な道を歩み、何度も何度も神を裏切ってきました。もう見捨てられても、見放されて当然なのに、神様は愛することをやめず、イスラエルでも僕らでもなく、イエス様が神の怒りを受け、十字架で命を捨てて赦してくださいました。「あなたはわたしの喜び」と言ってくださる背景には、イエス様の命がかかってます。


もし、自分のことを「わたしはもうムリ」「わたしは見捨てられた」と思ったり、誰かのことを「あの人はもうムリ」「あの人は神様に捨てられている」と思うなら、イエス様のいのちがけの犠牲をバカにしています。イエス様の血だらけの愛は僕らの想像を超えています。簡単に諦める僕らとは全然違います。神様は黙っていないし、あなたのために、そして、あの人のために今日も祈りつづけ、語りつづける神様です

そして、神様はエルサレムの人々に、「黙ってはならない」とおっしゃいます。神様のご計画を伝えつづけ、祈りつづけるようにと言われます。


6 エルサレムよ。

わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。

昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。

主に覚えられている者たちよ。

黙りこんではならない。

7 主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。


それは私たちクリスチャンも同じです神は私たちを見張り人としてこの世に置かれました。どんな時でも、神様の回復が実現するその時まで黙っていてはなりません。


私たちはこの世の終わりが近づいているという警告を発するために、だから悔い改めて神を信じるようにと勧めるために、ここに置かれているのです。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(2テモテ4.2)と聖書はいいます。また、人に伝えることと神様に祈ることはセットです神様に祈るのをやめてはいけません。イエス様が天で祈り続けてくださるのと同じく、僕らも人々のためにとりなす者でなければなりません。僕らは勝手にさばき、あきらめ、自分のことしか祈らない悪いクセがあります。僕らはすべての人に祈るように、そして伝えるように、見張り人としての役目があります。


今日もいのりましょう。祈ることはクリスチャンにしかできない大事な役目です。また、あらゆる方法で全ての人が神様を知ることができるように道を作りましょう。イエス様のご計画は、イエス様を信じてイエス様とつながった僕らの役目とセットで実現します。


10 この民の道を整え、盛り上げ、土を盛り上げ、大路を造れ。石を取り除いて国々の民の上に旗を揚げよ。


力があってもなくても、気分が乗っても乗らなくても、忙しくてもヒマでも、言い訳せず祈りましょう。自分のことだけでなく、他の人のことも祈りましょう。そして、すべての人がイエス様の赦しと回復のメッセージを受け取ることができるように、喜ばれていること、愛されていることが分かるように、祈り伝えましょう。道を作りましょう。邪魔な石は除きましょう。僕らの仕事とイエス様の仕事は一つです。ハレルヤ!

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