2023年2月15日水曜日

士師記16章

 サムソンはイスラエルを救うために赤ちゃんのときから選ばれた人です。彼のお母さんはそれをハッキリ聞いたし、サムソンもそれを知って育ちました。が、彼はほとんど神様のことを考えません。


(士師記 13:5)

見よ。あなた(サムソンのお母さん)はみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。



神様から大きな力を与えられたサムソンですが、彼はそれをやりたい放題に使います。神様に心を向けることがほとんどなく、彼はいつも自分の怒りや復讐心など、自分のためだけに使っています。

自分の力で何でも思い通りに行くとでも思っているかのようです

彼は売春婦の家に行きます。自分の欲望のためだけに生きているかのようです

彼はそこで命を狙われますが、自分の力の強さを見せつけるように、町の門を破壊し相手を驚かせます。神様からの力を自分の名誉と欲のためだけに使っています。



1 サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところにはいった。

2 このとき、「サムソンがここにやって来た。」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、「明け方まで待ち、彼を殺そう。」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。

3 しかしサムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびらと、二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。


彼は力を誇っていますが、女性には弱い人でした。女性に気に入られることを何よりも求めています。最初の結婚のときには、妻に泣きつかれて、しゃべる必要のない秘密をバラしました。(13章) 今回もデリラと言う女性に気に入られようとします。その結果、自分を滅ぼすことになります。デリラは買収され、お金のためにサムソンの力の源を聞き出します。



4 その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。

5 すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」

6 そこで、デリラはサムソンに言った。「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」


最初ははぐらかし、どんなに縛られても簡単にそれを切っていました。怪力のサムソンでしたが、愛する女性に責められ続けるのは「死ぬほど辛かった」(16節)と書かれています。



15 そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、どうして、あなたは『おまえを愛する。』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませんでした。

16 こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。



彼は強さを誇っていても、女性に責められることが何より辛かったようです彼は女性に好かれるとか、認められることを求めています。でも、女性に愛されることはありませんでした。彼は女性を求めます。認められること、好かれることをです。そして、そのために女性に従います。彼の偶像は女性ですついに彼は自分の力の秘密を明かします。その結果、彼はデリラに裏切られ、すべてを失います。



17 それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」

18 デリラは、サムソンが自分の心をみな明かしたことがわかったので、人をやって、ペリシテ人の領主たちを呼んで言った。「今度は上って来てください。サムソンは彼の心をみな私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来た。そのとき、彼らはその手に銀を持って上って来た。



その結果、彼は頭を剃られ、ペリシテ人に捕らえられ、目を潰され、牢の中で足枷をはめられて、笑い者にされます。


21 そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて、その目をえぐり出し、彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。

22 しかし、サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸び始めた。

23 さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをささげて楽しもうと集まり、そして言った。「私たちの神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくださった。」

24 民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「私たちの神は、私たちの敵を、この国を荒らし、私たち大ぜいを殺した者を、私たちの手に渡してくださった。」

25 彼らは、心が陽気になったとき、「サムソンを呼んで来い。私たちのために見せものにしよう。」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で戯れた。


彼は何もかも失いました。何もかも失った時にはじめて神様を求めました。心から祈る人に変えられました。

彼は最後に祈ります。強い力を振り回していた時には、心から神様に祈ることはありませんでしたが、今は違います。心砕かれ、神様にすがるほかない、謙虚な祈り、叫びを神様に求めます。


28「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです


30そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。


サムソンは3000人の客がいた宮を崩し、自分も死んで行きます。死ぬ間際になって初めて神様から預かっている力を神様のために使う祈りをしました。

神様がサムソンを用いてペリシテを攻撃し、イスラエルを救い始める、というご計画は実現しました。神様がサムソンに預けた力は最後に目的に沿って用いられました。

僕らも神様からそれぞれ役目を預かっています。神様が預かっている能力は、神様のために用いるのが本来のすがたです。サムソンは、何もかも失った時に初めて神様に自分を捧げました。自分の名誉や欲望のために生きることは、本来の姿ではありません。


僕らの人生はイエス様のものです人生は全部神様からの預かりものです預かった目的は神様と人々を愛することですこの名誉や欲望やお金は消えて行きます。でも、神様を愛し従うことは最高の、しかもなくならない価値のあることです


(1ヨハネ 2:15-17)

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。



僕らは神様を愛し、賛美し、讃え、隣人を愛し隣人に仕えるために力が与えられています。

すべては神様のものです一時的なものが消えていくものがなくなる時に、僕らは永遠に価値のあることに気がつきます。永遠に価値のある目的を目指しましょう。この世の繁栄も快楽もつかの間です


(ヨハネ 6:27)

なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。

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