イエス様を信じる人は単なる「信者」ではなく、イエス様の体の器官のように合体された人です。木と枝のようとも聖書はいいます。(ローマ12.5、1コリント12.26-27、ヨハネ15.5など)なので、クリスチャンを攻撃する人はイエス様を攻撃するのとほぼ同じです。信じる人を祝福する人は、神様を祝福ことにつながり、神様に祝福されます。逆に、信じる人を呪うことは、神様を呪うことにつながります。神様はアブラハムに言われました。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」(創世記12.3) 同じように、神様は僕らを守り、神様が戦ってくださいます。どんなに強い敵が襲ってきても、信じる者を攻撃するなら神様が黙ってはいません。復讐は神様のなさることです。ダビデは敵からの攻撃を全部神様に報告し、自分で仕返ししませんでした。
(ローマ 12:19)
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
僕らのすることは、敵からの攻撃を神様に報告することです。ダビデは細かく神様に報告し、神様の報復を願います。
1 主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。
2 盾と大盾とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。
3 槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。
私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ。」と。
どのように攻撃されているのか、神様に具体的に祈るのは大事です。
7 まことに、彼らはゆえもなく、私にひそかに網を張り、ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、穴を掘りました。
15 だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、私の知らない攻撃者どもが、共に私を目ざして集まり、休みなく私を中傷した。
16 私の回りの、あざけり、ののしる者どもは私に向かって歯ぎしりした。
20 彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです。
21 彼らは私に向かって、大きく口を開き、「あはは、あはは。
この目で見たぞ。」と言います。
祈りは心を正直に神様に注ぎ出すことです。
そして、神様は必ず答えてくださいます。信仰者を攻撃し、中傷する人は神様が黙っていません。
神様は「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」とおっしゃいます。(ローマ12.19)
そして、苦しみは僕らの祈りとなり、祈りは神様の栄光と力を見上げるイントロとなり、苦しみは賛美に変えられます。
苦しみや悩みを具体的に神様に祈ることは、最後には神様の力を賛美することになります。
10 私のすべての骨は言いましょう。
「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。
悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」
18 私は大きな会衆の中で、あなたに感謝し、強い人々の間で、あなたを賛美します。
27 私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。
彼らにいつも言わせてください。
「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。
28 私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。
戦ってくださるのはイエス様です。相手が悪魔であってもイエス様は完全に勝利しています。僕らがすべきはイエス様に頼りイエス様の報復を求めることです。自分で相手に向かうのはやめましょう。「自分で復讐してはいけません。」と聖書は言います。(ローマ12.19) 苦しめられた時、傷つけられた時、笑われた時、具体的に細かく神様に言いつけましょう。子どものように言いつけましょう。神様は僕らの味方です。そして正しく報復なさる唯一の方です。ハレルヤ!
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