一緒に神様を信じていた仲間が神様から離れていくことがあります。
信仰の種が発芽してもそれが育つとは限らない、とイエス様もおっしゃいました。(マタイ13.18-23)神様から離れると必ず教会の仲間からも離れて行きます。その実例は新約聖書に何度も書かれています。(1テモテ1.19-20、2テモテ4.10等)その姿は周りを暗くし、傷つけます。周りは暗くなりますが、本人は無感覚になり、良心は麻痺していき、悪に向かっていきますが、だんだん本人は悪いと思わなくなっていきます。その姿はダビデを深く傷つけました。彼は嘆いて書いています。
1 私の心の奥にまで、悪しき者の背きのことばが届く。
彼の目の前には、神に対する恐れがない。
神様を恐れなくなった人は自分の判断だけを頼るようになります。神様と離れているので、人に良く見せようと偽り、深く考えることはやめていきます。その人は他人にどう見られるかを優先します。ウソ、偽善を深刻なことだと思わなくなります。
2 彼は自分の判断で自分を偽り 自分の咎を見つけて それを憎む。
(2節は翻訳が難しいと言われています。
新共同訳は「自分の目に自分を偽っているから 自分の悪を認めることも それを憎むこともできない。」)
3 彼の口のことばは、不法と欺き。
思慮深くあろうともせず、善を行なおうともしない。
4 彼は寝床で、不法を図り、よくない道に堅く立ち、悪を捨てようとしない。
背いていく人のことをダビデは嘆いていますが、それは他人事ではありません。自分も知らず知らずのうちに高ぶり、神様を恐れず、偽りに流されていくかもしれません。ダビデは敵からの守りを願いますが、自分が高ぶって悪くなっていくことからの守りの願いでもあります。
11 高ぶりの足が私に追いつかず、悪者の手が私を追いやらないようにしてください。
僕らが高ぶりや悪から守られる方法は、いつも神様の恵みを考えることです。
旧約聖書の「恵み」ということばは「永遠の愛」という意味です。汚れた僕らが愛され、きよくされ、義だと言われる理由はイエス様が血だらけになって十字架でその罪を背負って死んでくださったからです。
イエス様の苦しみと犠牲が、僕らが愛され、ゆるされ、正直になれるただ一つの道です。
5 主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。(…中略…)
7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます。
イエス様のところに行くことは、まるで小さい子どもがお母さんの影に隠れるようです。
ヒナが親鳥の翼の下で守られるようです。イエス様が十字架の死刑を受けて「あなたの罪は赦された」と宣言してくださっています。そこには安心と喜びがあります。
8 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。
9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
10 注いでください。
あなたの恵みを、あなたを知る者に。
あなたの義を、心の直ぐな人に。
今日もイエス様の所に行きましょう。「わたしは悪くない!」って背伸びしなくても、自分を偽って良く見せようとしなくても大丈夫です。イエス様の十字架の永遠の赦しと愛は完璧です。正直になれるところ、安心できるところはイエス様のところです。赦された罪人として、安心して恵みに浸りましょう。安心して自分の失敗を認めましょう。ごまかさなくてもいい場所はイエス様のところだけです。
7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます。
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