マルコの福音書5.20-34
イエス様が僕らに願っておられることは「信仰」=「信頼」です。イエス様を信頼することは心の中だけのことではなく、信頼を具体的に行動に現わすことです。
この女性が癒される方法はただイエス様を信頼することだけです。イエス様なら癒しきよめてくださる、と彼女は信頼しました。そして彼女は具体的に行動に移しました。
25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。
29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
彼女は単純に、子どものように信じました。「イエス様に触れば直る」という教えは聖書にはありません。聖書全体を知らないような女性ですが、子どものようにイエス様を信頼しきっています。イエス様は彼女の信仰を喜んで下さいました。
34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
彼女を癒したのは本気の信仰=信頼です。イエス様を信頼する人は失望することがありません。「彼(イエス様)に信頼する者は、失望させられることがない。」とあります。(新約聖書ローマ10.11)
安全保障を失った人はイエス様への信頼が純化されます。
神様は僕らの神様への信頼を太く強くするために時々崖っぷちに立たせてくださいます。弱い時こそ神様だけを信頼して行動する時です。
疲れていなければ、神様の力を体験することはできないし、時間が、お金が足りないからこそ神様の愛と恵みを体験できます。弱い時こそ神様への信頼が増す時です。
僕らに問われているのは本当に信頼しているのかどうかです。惰性や義務なら信仰ではありません。保険をかけて安全圏内だけを歩くのも信仰ではありません。神様が求めておられるのは信仰です。イエス様は言われました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」
今日もイエス様を信頼して行動に移しましょう。イエス様に信頼する者は、失望させられることがありません。ハレルヤ!!
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