2023年2月20日月曜日

士師記8.1-17

 イエス様は「受けるより与える方が幸いである」とおっしゃいました。(使徒20.35)ですが、僕らはいつも与えるより欲しがりです。モノやお金だけでなく、名声も評判も欲しがります。



1 そのとき、エフライム人はギデオンに言った。「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは。」こうして彼らはギデオンを激しく責めた。



負けそうなことだと近寄らないのですが、勝利や栄光や評判があることには参加したがるのが僕らの姿ですエフライム族はこの勝利に最初から声がかからなかったことを怒り「なぜ我々を呼ばなかったのか?」と激しく文句を言います。彼らが欲しいのは名誉とか栄光です実はエフライム族は最後に声をかけられ、敵のリーダーをやっつける、という場面だけに参加しています。(士師記7.24-25)そんな彼らにギデオンは謙遜に答えます。


2 ギデオンは彼らに言った。「今、あなたがたのしたことに比べたら、私がいったい何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも(ギデオンががんばって戦った結果よりも)、エフライムの取り残した実(エフライムが余力で戦った結果)のほうが、よかったのではありませんか。

3 神はあなたがたの手にミデヤン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べたら、私に何ができたのでしょう。」ギデオンがこのことを話すと、そのとき彼らの怒りは和らいだ。


ギデオンは評判や栄光を求めず、相手を立て、あなたと比べれば自分のしたことは小さい、と言います。それで相手の怒りは和らぎます。聖書全体は何度もプライドや自分の栄光や評判を余計なもの、捨てるべきものとしています。栄光は神様のものです。そして「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」と教えています。(新約聖書ピリピ2.3)


ギデオンの戦いはこれで終わったのではありません。まだ、敵の王を倒してません。彼らは追いかけ続けました。途中、あまりの疲れのために、同じイスラエル人の町スコテの人々に食べ物を求めましたが断られます。



4 それからギデオンは、彼に従う三百人の人々とヨルダン川を渡った。彼らは疲れていたが、追撃を続けた。

5 彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来ている民にパンを下さい。彼らは疲れているが、私はミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」

6 すると、スコテのつかさたちは言った。「ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。私たちがあなたの軍団にパンを与えなければならないなどとは。」



スコテの人々はギデオンに食べ物を与えるのを拒否しました。敵は今まで自分たちを踏みにじって来た恐ろしい人々です彼らはギデオンよりも敵の仕返しを恐れたようです彼らが考えているのは損得です勝てるのなら食べ物を与えるけど、ギデオンに味方すると、後で敵からヒドい目に合わされるかもしれない、と思ったようです。神様に従うよりも、仲間に与えることよりも、自分が損しないこと、守られることばかりを考えるのが彼らの姿、そして僕らの姿です。しかし、これは不幸です愛とは与えることです。そして「受けるより与える方が幸い」です。(使徒20.35)


イエス様はおっしゃいました。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)

イエス様はおっしゃいます。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ26:40)


今日の箇所は自分の名声を欲しがり、自分の損得だけを考えるのは僕らの醜さですそしてそれは不幸です。本当の幸福は与えることです栄光や手柄は神様にささげ、与えましょう。感謝と賛美は主にささげましょう。そして、食べ物も時間も力も隣人に与えましょう。受けるよりも与えるほうが幸いです愛することは与えることです。この世で名誉を受けても、損得勘定ばかりで財産を握りしめていても、何も良いことはありません。


(新約聖書 2コリント9.7-8)

神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です

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