2023年3月6日月曜日

ヨハネの手紙第一2.18-29

 ヨハネの手紙第一2.18-29

聖書のメッセージの中心はイエス様です。イエス様は僕らの罪のために死んでくださり、復活してくださいました。イエス様によって僕らは赦されます。イエス様にによって僕らは聖められ、神様との交わりが回復しています。これが聖書のメッセージの中心だし、基本です。
そんな僕らを惑わそうとする教えがあります。
僕らが惑わされたとき、確認すべきは最初から聞いている基本的な教えです。ニセモノはいつも基本から離そうとします。
24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。(…中略…)
26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。
イエス様を信じる人は、信じる兄弟姉妹とも交わりをします。信じる人たちはキリストの体であり、キリストの枝だからです。教会の交わりに参加することと、キリストを信じてつながること、そして、真理にとどまることはセットです。
(1ヨハネ 1:3)
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
教会は真理の柱であるし、キリストとの交わりは教会の交わりです。(1テモテ3.15)教会はキリストのからだです。(1コリント12.27) 
なので、キリストを信じない人やニセモノの教えを信じる人は教会から去っていきます。
19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。
イエス様をキリスト(救い主)だと信じない人や、キリスト抜き、十字架の赦しヌキで新しそうな良さそうな教えだけをする人は自称クリスチャンでも自称牧師でもニセモノです。あるいは、信じてるといいつつ兄弟姉妹を愛さず、憎み続ける人はニセモノだし、聖書は「もともと私たちの仲間ではなかった」と言います。
(1ヨハネ 2:9)
光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
口ではすばらしいことを言っていてもイエス様の赦しを信じず、互いに愛そうとも赦そうともせず、憎しみや争いを引き起こす人は要注意です。
18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
ニセモノが大勢現れる時代は来ますが、ちゃんと見分けることもできます。まず、僕らに与えられている聖霊は僕らを真理に導き入れてくださいます。
(ヨハネ 16:13)
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。
つまり、聖霊をいただくことと、イエス様を信じることと、神様を信じることと、教会にとどまることはセットです。聖霊が与えられると真理がわかるし、聖霊が与えられるとイエス様の十字架による赦しのすばらしさが分かります。聖霊は私たちに愛の実を結ばせてくださいます。
27 あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油(聖霊のこと)があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油(聖霊)がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油(聖霊)があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。
僕らの周りにもニセモノの教えが入ってきたり、迷ったり惑わされたりすることがあるかもしれません。が、大事なのは聖書による基本的な教えです。イエス様の十字架の赦しこそメッセージの中心です。そして、イエス様の赦しを体験した人は周りの人を赦し、愛そうと思うようになります。それによって判別することができます。
(1ヨハネ 2:4-5)
神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。
今日も聖書の真理のことばにとどまりましょう。聖霊を求めましょう。そして、相手を赦し受け入れ愛する教会の交わりを求めましょう。教えが本物かどうかいつも聖書を調べましょう。僕らは見分けることができます。
(マタイ 7:20-21」)
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
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