2023年3月6日月曜日

ヨハネの手紙第一 3.1-12

 ヨハネの手紙第一 3.1-12

イエスキリストを信じる人は「神の子ども」です。子どもは親に似るようにクリスチャンはキリストに似てきます。そして、イエスキリストがもう一度この地上に来られたその時にはクリスチャンは完全に似た人に変えられます。
1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。(…中略…)
2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
僕らは将来、欠点のない完全な姿に変えられることは、聖書が繰り返し教えていることです。そして、その変化はもう始まっています。
3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
(2コリント 3:18)
私たちはみな、(…中略…)栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
キリストを信じた人は、罪を続けることができなくなります。キリストは何の罪もない方なので、キリストにつがなると罪が苦しくなります。もちろん、油断して罪をしちゃうことはああるし、自分に罪はないと言うなら、ウソつきです。(1.8)でも、罪を故意に続けることは苦しすぎて、できません。聖なるキリストにつながりながら、罪を続けるのは無理です。
5 キリストには何の罪もありません。
6 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。(罪をつづけません、の意味です。)罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。
9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種(聖霊や神様のみことば、神様のご性質のこと)がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
クリスチャンが罪をしていしまうと、すごく苦しく悲しいです。自分が聖なるキリストの体の一部となっているからです。
(1コリント 6:15)
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
逆にもし、「罪をしつづけても大丈夫」と言う人や「罪をしよう、姦淫しよう、兄弟を憎もう」というがいたら、その人は神様の子どもではありません。むしろ、悪魔から出た人です。
8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。(…中略…)
10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
もし僕らに罪悪感があるなら、それはクリスチャンになった証拠です。
もしも悪魔の子どもなら、罪悪感はありません。
罪やイヤなのは、神様の子どもであるしるしです。
罪はどんなことでも謝りましょう。イエス様の十字架の血によって赦されきよめられます。
(1ヨハネ1.9)
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
僕らは神様の子どもとして生まれ、キリストに似せて変えられ途中です。
もう、その変化はスタートしています。
ますます罪から離れましょう。愛を求めましょう。
やがて、僕らは完成します。今、着実に工事は進んでいます。
新しい自分はスタートしています。ハレルヤ!

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