2023年3月6日月曜日

イザヤ51章

 イザヤ51章

僕らはイヤなことや悲しいことは何度も思い出すのに、神様のしてくださった恵みを思い出すのが苦手です。そんな僕らに聖書は言います。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(旧約聖書詩篇103.2)と。
また、僕らは可能性を人間の考えだけで判断してあきらめる悪いクセもあります。ですが、人間が「ムリ」と思っても、神様には「ムリ」ではありません。
イスラエル人たちは国を失い誇りだった神殿も失った最悪の時代がありました。でも、どんなに破壊的であっても、神様はもう一度最高のものを作ることができる方です。そもそも、イスラエル人という民族の存在自体が神様の奇跡と力の現れです。
神様はアブラハムを選び「あなたの子孫を祝福する」とおっしゃいましたが、実際にはアブラハムも奥さんのサラの体も枯れていて、妊娠出産は絶望的でした。そのような絶望的な2人からスタートしたのがイスラエル民族です。
絶望しているイスラエル人たちに神様は言われます。あの絶望的だった夫婦から祝福が始まったことを思い出しなさい、と。
2 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。
僕らはあきらめますが、神様はゼロから全てを作ることがおできになります。死人に命を与えることができ、砂漠をすばらしいエデンの園のように変えることができる方です。廃墟となったエルサレムを喜びと感謝の町にする、と宣言されます。
3 まことに主はシオン(エルサレムのこと)を慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
4 わたしの民よ。
わたしに心を留めよ。
わたしの国民よ。
わたしに耳を傾けよ。
だから、僕らの小さな判断にとどまって恐れるのではなく、神様のことばを聞きなさい、と聖書は繰り返します。
1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。
わたしに聞け。
4 わたしの民よ。
わたしに心を留めよ。
わたしの国民よ。
わたしに耳を傾けよ。
神様の大きさを知るために必要なのは「聞くこと」です。人間同士の信頼関係も「聞くこと」が大切です。聞くことは、互いに信頼を生みます。同じように神様のことばを聞いて知ることは神様への信頼(信仰)を生みます。
(新約聖書 ローマ10.17)
信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
僕らはいつのまにか、自分の判断に縛られ、神様のことばよりも人のことばを信じます。神様に期待せず固まってしまっています。本気で求めようともしません。そんな僕らに神様は「わたしに聞け」「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とおっしゃいます。
イスラエル人たちは昔400年間もエジプトに奴隷とされ虐待されていました。そんな彼らの祈りと嘆きに答えてくださり、神様は救い出してくださいました。こんなにすごいことをして下さった神様を思い出せ、あの時と同じように、もう一度エルサレムは回復し、喜び歌う日が来る、と聖書はいいます。
9 昔の日、いにしえの代のように。
ラハブを切り刻み(昔、エジプトに神様がさばきを下されたこと)、竜(悪魔のこと)を刺し殺したのは、あなた(神様)ではないか。
10 海と大いなる淵の水を干上がらせ、海の底に道を設けて、贖われた人々を通らせたのは、あなた(神様)ではないか。(エジプトを脱出するときに神様が海に道を作ってくださったことを言っています)
あの日と同じように、今破壊されているエルサレムにもう一度喜びながら戻ってくる日が来ます。砂漠のような荒れ果てた町が回復します。
3 まことに主はシオン(エルサレムのこと)を慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
11 主に贖われた者たちは帰って来る。
彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
これは、あきらめに凝り固まってしまったイスラエル人たちにとっても、僕らにとっても大事なことです。また、神様のことばより人のことばを大きく感じ、恐れている人にとっても大切なことです。人を恐れるな、状況をみておののくな、天地を作り、天地を滅ぼす主を恐れよ、と聖書は繰り返します。
12 わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。
あなたは、何者なのか。
死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。
13 天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りを恐れている。
まるで滅びに定められているかのようだ。
そのしいたげる者の憤りはどこにあるのか。
14 捕われ人は、すぐ解き放たれ、死んで穴に下ることがなく、パンにも事欠かない。
15 わたしは、あなたの神、主であって、海をかき立て、波をとどろかせる。その名は万軍の主。
16 わたしは、わたしのことばをあなたの口に置き、わたしの手の陰にあなたをかばい、天を引き延べ、地の基を定め、「あなたはわたしの民だ。」とシオンに言う。
僕らが恐れるべきは、状況でも声の大きな人でもありません。消えていく人間を恐れる必要はありません。むしろ、永遠に僕らを祝福し王として支配なさる神様を恐れるべきです。
6 目を天に上げよ。
また下の地を見よ。
天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないからだ。
7 義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。
わたしに聞け。
人のそしりを恐れるな。
彼らのののしりにくじけるな。
8 しみが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたるからだ。
僕らが新しいことを期待できなくなっているなら、聞くべきことばは人のことばではなく、無限の神様のことばです。見るべきことは自分や周りの惨状ではなく、神様が見ておられる完成予想図です。
神様のことばは希望のことばです。もし、自分たちが滅びるかのように恐れおののいているなら、完全にウソを信じています。真実は神様の永遠の祝福であり、栄光であり、回復です。
神様のことばはわざわいでなく平安を、呪いではなく祝福を与えてくださることばです。神様は今日も僕らを絶望でなく、将来の希望と喜び満たそうとしておられます。
人のことばではなく、主のことばを聞きましょう。信じましょう。そこには希望と喜びが満ちています!

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