2023年3月6日月曜日

詩篇11篇

 詩篇11篇


人から攻撃される時、人と上手くいかない時に僕らは相手と離れることを考えます。引越しするか、転職するか、転校するか、離婚するか、などなどです。友人やカウンセラーに相談してもそう言うかもしれません。ダビデも人から攻撃され命を狙われる時に、友人たちは鳥のように逃げろ、そこから離れろ、とアドバイスします。ところがダビデの答えは「主に私は身を避ける」です。



(1-3)

1,主に私は身を避ける。どうしてあなたがたは私のたましいに言うのか。「鳥のように自分の山に飛んで行け。

2,それ見よ悪者どもが弓を張り弦に矢をつがえ暗がりで心の直ぐな人を射抜こうとしている。

3,拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか。」



ダビデは最高に安全な隠れ家を知っていました。もちろん実際に逃亡生活もしました。でも彼が身を寄せたのは神様のところです。神様は全てを見通し、僕らの悲しみも苦しみも、そして敵の攻撃も暴虐も全部見ておられます。そして、必ず正しい報復をされます。



(4-6)

4,主はその聖なる宮におられる。主はその王座が天にある。その目は見通しそのまぶたは人の子らを調べる。

5,主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは暴虐を好む者を憎む。

6,主は悪者どもの上に網を下す。火と硫黄燃える風が彼らへの杯。



主はどんな小さな悪も見逃さず、正しく怒り、裁きを下す神様です。僕らは相手の悪いところばかりを言いますが、悪は自分の中にも必ずあります。神様は僕らの心の奥にある小さな不正も憎しみも全て見通し調べる方です。そしてイエス様は「見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。」とおっしゃいます。(マタイ7.4)神様の前では正しい人はいません。ただ、神様だけが唯一正しい方です。罪を憎み、悪者の上に怒りと呪いを下す神様です。その神様は怒りと呪いを僕らの身代わりにイエス様に注がれました


正義とは、自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による、神から与えられる義です。(ピリピ3.9)

周りがどんなに攻撃してきても、神様は僕らのことを「義」「完全無罪」と宣言してくださっています。今日も相手ではなく、自分の中にある罪を認めて告白しましょう。神様は僕らを完全に義と認めてくださいます。仕返しする必要もないし、反論して正当化する必要もありません。ただ、イエス様によって赦され義とされました。これが僕らの最高で安全な避けどころです。僕らが逃げる場所はイエス様による赦しと愛と義の場所です。



(7)主は正しく正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。



今日も愛され守られています。イエス様の十字架の愛は完璧です。誰からなんと言われようと無罪です。これこそが完璧なイエス様による正義です!ハレルヤ!


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