2023年3月4日土曜日

詩篇9篇

詩篇9篇 


●神様は時間を超えている。


タイムマシンはありませんけど、神様だけは時間を超越しています。僕らは今のこの時間に起きている事しか分かりませんが、神様の前では1000年は1日のよう、1日は1000年のよう、と書いてある通りに時間を超えていることがわかります。つまり僕は今この出来事を見ているけれども、神様は100年後10年後1年後にこれがどうなってるかを今もうすでに見ておられるからです。私たちに必要なことを将来起こることをすでにある程度教えてくれています


詩篇はダビデの祈りであり賛美ですが、同時に神様から与えられた霊感された聖霊による言葉です。だから聖書を信じる人は今苦しくても、この後どうなるかわかります。殺されそうでも、たとえ死んでも、その後の将来の希望と祝福を時間を超えて確信できるので、苦しいけど喜ぶ、悲しいけど楽しい、という、信仰によって時間を超えて未来の喜びに連れて行ってもらえるという特権があります。


今日、悲しみにある人、苦しみにある人、生きるのが大変だと思っている人、がこのメッセージを通して神様がその後にある喜びと希望に連れて行ってもらえますように。将来の希望と喜びを既にもう今、体験しているかのように、もうこの苦しみは終わり敵は滅んでしまう未来の喜びに神様が連れて行ってくださいますように。祈りつつ、願いつつ、信じつつお話しします。


●時代背景



1,心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。

2,私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よあなたの御名をほめ歌います。



ダビデは神様に感謝し、賛美し、喜び、誇り、歌っています。ところが、

詩篇を順番に読んでいくと、ダビデの賛美はいいことがあったから喜んでいるのではなく、人から憎まれ、裏切られ、誤解され、殺されそうになっている、その最悪のときに賛美していることがわかります。3篇から順番に読んでいくと、特にそれがはっきりわかります。

20歳頃から30歳頃の10年以上彼は自分がお仕えした王様サウルから命を狙われて洞窟での逃亡生活でした。いつも偵察部隊が自分を殺そうとして探しています。しかも、相手は自分が愛していた王様サウルです。それでも彼は希望を失いません。

30歳になって、サウルが死に、今度は自分が王様になります。30代からは国が繁栄するのですが、50代以降、今度は自分の三男のアブサロムがクーデターを起こして、また命を狙われて逃亡生活です。彼の人生はいつもいつも苦しみがつきまといました。しかも、親しい人身内からの裏切りと攻撃です。


ダビデは敵の攻撃の真っ只中、苦しみの真っ只中にいるときにこの詩篇を作ったことがわかります。



13,主よ私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の苦しみをご覧ください。死の門から私を引き上げてくださる方よ。


●1 与えられる祈りと賛美


13節では苦しみの中で主を求め、救い出すように神様にお願いしています。

死の門、つまり、殺される直前です。でもその前後は時間を超えて、もう勝利し喜んでいることをまるでもう体験しているかのように言います。希望に挟まった形で苦しみを言っています。苦しみをご覧ください、と言った直後。



14,私はあなたのすべての誉れを語り告げるため娘シオンの城門であなたの救いに歓声をあげます。



苦しみをご覧ください、と言う直前では


11,主にほめ歌を歌えシオンに住まうその方に。主のみわざを告げ知らせよ国々の民に。

12,血に報いる方は彼らを心に留め貧しい者の叫びをお忘れにならない。



ダビデは祈りの中で自分の今の苦しみを正直に神様にいます。ですが、祈の中で神様が与えてくださった希望の約束を言葉にします。神様との交わりの中で、自分の話だけでなく、神様が計画しておられることを言っています。すごい悲しく苦しいんだけど、それでも神様は絶対に私を見捨てることがない、苦しいけど、あなたの救いに歓声をあげます。とも言っています。苦しみの中でちょっと希望があるのでなくあ、神様の希望や回復、という素晴らしい喜びに包まれて今の苦しみを言っている、という感じです。



10,御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者をあなたはお見捨てになりませんでした。



これはダビデの賛美だし、祈りですが、同時に神様から与えられている預言の言葉、神様の言葉です。

僕らも祈ったり賛美したりしますが、僕らの祈りであると当時に、祈りは神様から与えられる御霊によるものです、また賛美も神様に捧げるものだけど、同時に神様から与えられるものです。


聖霊が与えられている人には祈りが与えられ、賛美が与えられます。賛美も祈りも神様からのプレゼント。だから祈りとか賛美は僕らが頑張ってひねり出すものではありません。何もない幼子、乳飲み子、に賛美を与えてくださいます。イエス様は詩篇8篇を引用して『あなたは幼子たち、乳飲み子たちの口を通して誉れを打ち立てられました』とおっしゃいました。(マタイ21.16)何もない、与えられるだけ、ミルクを飲むだけ、なのが幼子、乳飲み子です。で、もらうだけの赤ちゃんの口を通して神様の賛美、神様の素晴らしさが語られる、つまり、賛美も祈りも神様から与えられるものであり、聖霊の言葉、ということです。


調子のいい時は神様ありがとう!と言って感謝や賛美が出てきます。でも、苦しい時、祈れない、と思います。悲しい時、賛美できないと思います。礼拝したくない、って思います。経験あると思います。


もともと、祈れないはずの僕らに祈りを与え、賛美できないはずの僕らに賛美を与えてくださるのが、聖霊、神様の霊、神様ご自身です。よくお勧めしますが、ぜひ、正直になって、言いましょう。神様、祈れないです。祈りたくないです、神様、賛美できないです。礼拝したくないです、って言ってください。その通りです。肉からは何も出てきません。祈りも賛美も私たちから出るものではないです。神様が祈りを与え、賛美を与え、人知をはるかに超えた、時間を超えた希望の言葉が与えらます。


祈る時、賛美する時、ぜひイメージしてください。いま、僕が祈っているのではなく、御霊が一緒に祈ってくださっている、イエス様が祈ってくださってる、と思ってください。今、歌っているのは僕だけど僕ではない、いま祈っているのは私だけど私ではなく、聖霊様であり、イエス様です。賛美も祈りも与えられるプレゼントです。神様が与えられている祈りや賛美に私たちも参加するだけです。メッセージしているのは遠藤です。でも、その言葉とか確信とか与えてくださってるのは神様です。


与えられる祈りや賛美に身を委ねるときに、私の思いではなく、イエス様が与えてくださる新しい心に帰られていきます。苦しみしか見えなかったのに、祈りの中で希望が与えられ賛美や感謝が与えられています。変わります。



9,主は虐げられた者の砦苦しみのときの砦。

10,御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者をあなたはお見捨てになりませんでした。



砦、とはそこに行けば安全、ほっとする場所です。リビングバイブル 虐待された人々はみな、主のもとに来ます。主は苦しむ人々の隠れ家です。」神様こそ虐げられた人のの砦、苦しむ人の砦、安全な場所、癒しの場所です。ダビデは苦しいからこそ、神様のところに行って、安心し、癒されて、感謝して、賛美していたことがわかります。


苦しいから祈らない、のではなく、苦しいから神様のところに行き、苦しいから神様と交わり、賛美し、感謝するんです。祈りも希望も賛美も神様のところにいく時に与えられるものです。



●2 信仰による祈りと賛美は勝利の確信


※診察室の例


診察室に行って、自分の話だけをして帰る人、医者にどうせあなた、無理なんでしょ、と言って終わる人は治療できないし、癒しはありません。次は治療方針を聞く番です。それを聞いたら医者を信じて従うことです。「私、失敗しないので」というドラマがありましたけど、失敗しない医者がいるなら、自分の考えと違っても聞いて、従うことです。


本当に神様は「私、失敗しないので」と断言する唯一の方です。そういえるのは神様だけです。

失敗しない神様がなんておっしゃってるかをきき、神様の計画をきき、それを信じて言葉にする、聞いて従う、というのが祈りの中で行われます。


お祈りするときにお願い事ばかり自分の悲惨なこと嫌なことばかり言って、助けてください、といういうのはいいけど、でもどうせ無理なんでしょ。と不信仰で終わる人に癒しはありません。


次は、失敗しない神様が私に、このように約束している、神様はこういう方だ、と聞く時に嘆きは希望に変わるわけです。


それでも、私たちは頑固で、視野が狭くて、いろんな理由をつけてどうせ無理だ、不可能だと決めつけます。信じない、不信仰な祈りとか賛美もあります。


どうしたら、ダビデみたいに苦しみの中でも、本当の賛美が出てくるのか。

「どうせ自分の信仰は薄いです」と人は不満を言いがちです。


でも、親しい間柄、とか、信頼関係、というのはその人とたくさん時間を過ごした、ということです。

時間をかけないで友人を作ることはできません。相手を避けていて友達にはなれません。時間をかけないで夫婦が愛し合い一つになって行くことはありません。神様に愛されています。そして、神様は私たちが聖霊に満たされて、神様と一つの心になっていくことを願っています。時間を使うことです。神様の愛は変わりません。でも、僕らの側はまだまだ神様を知らないし、信頼して喜ぶところまでなってないかもしれないです。


そのためには、時間を作らなければなりません。時間をかけないで神を知ることはできません。インスタントに、神様の心を自分の心にすることはできません。

神様と会う時間、交わる時間、聞く時間はどんな時間よりも価値がある素晴らしい時間です。イエス様の前に座って何もしないで聞いたり話したりしているマリヤを、必要なことはわずかです。いや一つだけです。マリヤは良い方を選んだのです、とおっしゃいます。


●信じた人の特徴。勝利の確信


ダビデは神様との交わりの中で、目の前は苦しく、自分は殺されそうなのに、賛美と感謝が与えられています。



1,心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。

2,私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よあなたの御名をほめ歌います。



ダビデは自分の心は神様に捧げ尽くしました。明け渡しました。もう、自分の思い通りでなくて神様の思い通り、神様の計画だけを語り、賛美し、喜び歌います、と言います。

ダビデは、神様と交わる中で、神様が時間を超えているので、ダビデも時間を超えて神様目線でこれから起こることを言っています。

もうすでに勝利を手にしたかのように、語っています。



3,私の敵は退くとき御前でつまずきついえます。

4,あなたが私の正しい訴えを聞かれるからです。義の審判者として王座に着いておられるからです。

5,あなたは国々を叱り悪しき者を滅ぼし彼らの名をとこしえに消し去られました。

6,敵は絶え果てました。──永遠の廃墟あなたが根こそぎにされた町々──彼らの記憶さえ消え失せました。

7,しかし主はとこしえに御座に着きさばきのために王座を堅く立てられた。

8,主は義によって世界をさばき公正をもってもろもろの国民をさばかれる。



ダビデは、まだ見ていないものをもう見ているかのように告白しています。これが信じた人の言葉です。

ダビデの祈りや賛美は神様から与えられた預言でもありました。しかも、未来に起こることなのに、もうすでに起こったみたいに過去形で言います。預言的過去形と言うそうです。5-7節。


5,あなたは国々を叱り悪しき者を滅ぼし彼らの名をとこしえに消し去られました。

6,敵は絶え果てました。──永遠の廃墟あなたが根こそぎにされた町々──彼らの記憶さえ消え失せました。

7,しかし主はとこしえに御座に着きさばきのために王座を堅く立てられた。

8,主は義によって世界をさばき公正をもってもろもろの国民をさばかれる。



ダビデの祈りですが、同時に神様から与えられている預言の言葉、神様の言葉です。

ダビデだけの特権でなく、僕らも同じように、祈ったり賛美したりする中で聖書の言葉を確信してよって、与えられている未来の希望と勝利を言い表し、悲しいはずなのに、嬉しい、苦しいはずなのに、感謝が与えられ賛美が与えられます。そのみことばを信じるには誰にでもこの希望と確信が与えられます。


●3 再臨の希望


内村鑑三(一日一生)は次のように言っています。


一日は貴い一生である、これを空費してはならない。そして有効的にこれを使用するの道は、神の言葉を聴いてこれを始むるにある。」


「万事万物はすべてことごとくこの喜ぶべき最終の出来事に向かって進みつつあるのである。(…中略…)私たちはすでにキリストのものとなって、全世界の出来事はこぞって私たちを希望の域に向けて進みつつあるのである。




歴史のクライマックスはイエス・キリストが再臨することです。どんなに私たちの周りが悲しみで満ちていても、人々が我々はどうなるんだろう、我々はどこへ流れていくんだろうと泣きわめいても、聖書は未来に対する確かな約束に満ちています。


聖書は、イエス様が再臨され、正しく世界をさばき、悪は一掃されます。神の民のために素晴らしい報いがあると言っています。それがいつかどんな時かは知らなくていいのです。ただ、それを必ず起こることとして信じて準備することです。

準備とは、苦しみの中で、敵にしかえしせず、良いことをし続けることです。敵を赦し、悪に善で返すことを選び続けることです。私たちは忘れやすいし、目の前のことに振り回されがちです。


kの神様の約束をしっかりとつかんで、それを自分の現実の状況に当てはめて宣言することが祈りであり賛美です。今苦しくても神様が正しくさばいてくださいます。


神様の約束を自分の口で言葉にして、それに従うことによって信仰が活性化されます。ダビデが将来起こることを宣言しているのと同じです。



※神学校の時先輩が、今日はお願い事のお祈りやめようと言ってくれたこと。


神様がどんなに素晴らしい方か、それだけ祈ろう、と言ってくれたことを思い出します。その祈りは楽しく、希望に満ち、力に溢れたものとなります。もちろん自分の悲しみ痛みを長く言うのも大事です。それは大事です、でもそれで終わってはいけません。祈りは賛美であり感謝であり宣言でもあります。神様がこのようなお方です神様はこのようなお方ですそのように賛美し感謝する祈りこそ私たちに信仰の戦い信仰の勝利をもたらすものです。


今の苦しみは通過点です。通過点にすぎないのに、勝手にもう無理だ、と諦めてしまうことが多いのです。みなさんが受けている攻撃、苦しみは勝利と祝福のための1つの通過点であることをよく思い出してください。



ぜひ想像してください、キリストが再臨される時に、世界を正しくさばいていくださいます。


8,主は義によって世界をさばき公正をもってもろもろの国民をさばかれる。


文字通りにイエス様が世界の王として裁かれます。その時に悪は一掃されます。



(1コリ4.5)神から各人に対する称賛が届くのです。この試練を忍耐して悪に対して善を行う人は、その時に

「称賛と光栄と栄誉に至」ります。

苦しみの中でも希望を持って忍耐し、悪に対して善を行う僕らはキリストとともに栄光を受ける人となります。


そのときにはよくやった忠実な良い僕だと言って褒められます。キリストが勝利することは確定しています。見捨てられることはありません。忍耐して希望を持って歌い続けましょう。みことばを信仰を持って聞き続けましょう。



1,心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。

2,私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よあなたの御名をほめ歌います。



苦しいけど、報いがあります。希望を持って忍耐する人には、賞賛が届きます。敵を赦し、愛する人には栄光があります。勝利は確定しています。僕らの苦しみは通過点です。目を天にあげたなら、希望と喜びの中に今の苦しみがあることがわかります。罵られても罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる神様にお任せして善を行いましょう。苦しみの中でも信じて賛美しましょう。自分の考えだけでなく、将来の希望の言葉によって祈りましょう。神様のくださる希望によって賛美しましょう。


11,主にほめ歌を歌えシオンに住まうその方に。主のみわざを告げ知らせよ国々の民に。

12,血に報いる方は彼らを心に留め貧しい者の叫びをお忘れにならない。


ハレルヤ!


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