2023年3月1日水曜日

創世記43.16-34

 創世記43.16-34

自分かやってしまった過去の記憶はその人を脅し続けることがあります。ヨセフの兄たちは昔弟ヨセフは縛って奴隷にしてお金に売ってしまった過去がありました。そのことがいまだに彼らを苦しめ、「きっと自分たちも奴隷にされる」と恐れます。
飢えと戦うヨセフの兄たちは食料を買うために弟ベニヤミンを連れてエジプトに行きました。総理大臣ヨセフは自宅に連れていって食べさせようとします。ところが、兄たちは自宅に連れていかれるだけで怯えます。それは「自分たちも奴隷にされる」と思うからです。
16 ヨセフはベニヤミンが彼らといっしょにいるのを見るや、彼の家の管理者に言った。「この人たちを家へ連れて行き、獣をほふり、料理をしなさい。この人たちが昼に、私といっしょに食事をするから。」
17 その人はヨセフが言ったとおりにして、その人々をヨセフの家に連れて行った。
18 ところが、この人たちはヨセフの家に連れて行かれたので恐れた。「われわれが連れ込まれたのは、この前のとき、われわれの袋に返されていたあの銀のためだ。われわれを陥れ、われわれを襲い、われわれを奴隷として、われわれのろばもいっしょに捕えるためなのだ。」と彼らは言った。
聖書が教える罪人とは、自分の判断や自分の基準だけで考える人のことです。兄たちは弟でさえも残酷に奴隷に売ってしまう残酷な過去があります。だから他人もその基準で動くと思ってしまいます。その結果、善意も悪意に解釈します。他人もきっとそうすると決めつけ、神様を中心に考えないからです。
神様のメッセージは真逆です。神様は「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」と言ってくださいます。(新約聖書 ヘブル10.17)
赦しを知らず、ひどい目に会うと考える兄たちは、「家に入ったら二度と出してもらえない」と考えたようです。それで、その直前に管理人と交渉します。
19 それで、彼らはヨセフの家の管理者に近づいて、家の入口のところで彼に話しかけて、
20 言った。「失礼ですが、あなたさま。この前のときには、私たちは食糧を買うために下って来ただけです。
21 ところが、宿泊所について、袋をあけました。すると、私たちの銀がそのままそれぞれの袋の口にありました。それで、私たちはそれを返しに持って来ました。
22 また、食糧を買うためには、ほかに銀を私たちは持って来ました。袋の中にだれが私たちの銀を入れたのか、私たちにはわかりません。」
前回、食糧を買いに来た時、代金はそれぞれの袋に戻されていました。それはヨセフの指示によるものでしたが、彼らはそれが原因で奴隷にされると恐れます。怯える彼らに管理人は優しく語り安心させてくれます。
23 彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのに違いありません。あなたがたの銀は私が受け取りました。」それから彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。
24 その人は人々をヨセフの家に連れて行き、水を与えた。彼らは足を洗い、ろばに飼料を与えた。
管理人は彼らに戻された銀は神様からの宝だと言います。神様がヨセフを通して彼らに良くしてくださっています。そして、彼らの代金は「私が受け取りました」と言って安心させてくれます。実際はヨセフが払ったようです。さらに、管理人は監禁されていた兄シメオンを連れて来ることでさらに彼らを安心させてくれます。
罪人は自分の基準で悪いことばかりを妄想して恐れます。しかし、神様を知っている人は神様の赦しと希望が中心になっていき、恐れから解放されていきます。
みなさんの過去の罪や失敗が今だに自分を苦しめていることはあるでしょうか。神様は僕らに言ってくださっています。
(旧約聖書 イザヤ 54:4)
恐れるな。あなたは恥を見ない。
恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。
あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
誰かが責めても、自分が自分を責めても、神様はもう責めていません。イエス様の十字架によって、罪の赦しは完全になりました。
僕らの心が今日も将来の希望と喜びに満たされますように。
(新約聖書 ローマ 8:1)
今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿