2023年3月1日水曜日

創世記47.27-48.4

 創世記47.27-48.4

人生の最後にイスラエルが伝えたかったことがあります。それは神様からの祝福の約束でした。どんなに良い生活であっても、イスラエルの子孫はエジプトに永住するのではありません。あくまでのエジプトは一時滞在です。神様は何度も彼に「カナンの地に連れ戻す」と言われています。神様から祝福される故郷はカナンの土地です。
(創世 46:3-4)
「エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。(…中略…)また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。
イスラエルは死を目前にして、神様のことばの通りに自分の遺体をエジプトではなくカナンの地に葬るようにと息子にお願いします。
29 イスラエルに死ぬべき日が近づいたとき、その子ヨセフを呼び寄せて言った。「もしあなたの心にかなうなら、どうかあなたの手を私のももの下に入れ、(性器の下に手を入れる当時の厳粛な誓いです。)私に愛と真実を尽くしてくれ。どうか私をエジプトの地に葬らないでくれ。
30 私が先祖たちとともに眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってくれ。」するとヨセフは言った。「私はきっと、あなたの言われたとおりにいたします。」
神様が言われたカナンの地に埋葬されることは、「自分たちの永遠の住まいはエジプトではなくやがてあのカナン」ということを明らかにすることです。どんなに良い生活をしても、この場所は仮住まいでした。
同じように、僕らが今住んでいる場所も生活も一時的なものです。聖書は人生は旅人であると言っています。永遠の故郷は天にあります。
(新約聖書 ヘブル 11:13)
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(…中略…)彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。(…中略…)事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
イスラエルの人生は苦しみの連続でした。
若い頃は兄エサウとうまくいかず、エサウに命を狙われて実家を離れるしかありませんでした。お世話になったラバンおじさんには利用されました。
結婚した2人の妻の間にはいつも争いがあり、12人の子どもたちには問題だらけでした。娘は地元の男に犯され、怒った息子たちは町中の男性を虐殺しました。愛する息子ヨセフは死んだと思って何年も悲しみ続けた人生でした。
そんなイスラエルを神様は祝福してくださいます。そして、祝福される場所はエジプトではなくカナンの地です。イスラエルは最後まで神様のことばを信じ、行動しました。自分の埋葬の場所も神様のことばに従うようにと息子ヨセフに誓わせます。
僕らの人生も同じく、地上では旅人です。どんなに苦しい人生だったとしても、イエス様を信じる人には祝福が約束されています。先輩たちは、地上では神様の約束を見ることはなくても、それを信じて希望をもって忍耐しました。
僕らにも希望は約束されています。地上では旅人です。そして天では報いと栄光が約束されています。希望を持ちましょう。どんなに悲しいことがあっても、主は永遠の祝福を約束してくださっています。忍耐とは単なるやせガマンではなく、希望を見上げ続けることです。
(新約聖書ローマ 8:18)
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

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