創世記46.31-34
相手に気に入られるために話を盛ったり、隠したりごまかしたりはよくある話です。もしかすると、教会もこの世に気に入られようとしがちかもしれません。エジプト人は羊飼いを嫌っていました。イスラエル人と一緒に食事をするのも忌み嫌うことでした。(創世記44.32)イスラエルの家族がエジプトに移住したとき、ヨセフは最初から家族が嫌われる羊飼いだとファラオに告げ、家族にも正直にそう言うように勧めます。
(31-34)
31,ヨセフは兄弟たちや父の家の者たちに言った。「私はファラオのところに知らせに上って行き、申しましょう。『カナンの地にいた、私の兄弟たちと父の家の者たちが、私のところにやって来ました。
32,この人たちは羊飼いです。家畜を飼っていたのです。この人たちは、自分たちの羊と牛と、所有するものすべてを連れて来ました。』
33,もしファラオがあなたがたを呼び寄せて、『おまえたちの職業は何か』と聞いたら、
34,こう答えてください。『しもべどもは若いときから今まで、家畜を飼う者でございます。私たちも、また私たちの先祖も』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住めるでしょう。羊を飼う者はみな、エジプト人に忌み嫌われているからです。」
最初からエジプトにとってのマイナス面も正直に告げると、「あなたがたはゴシェンの地に住めるでしょう。」とヨセフは言います。(34)ゴシェンとはエジプトの中でも少し離れた場所です。偶像を拝むエジプト人と近くなりすぎず、同化せず、ちょうど良い距離で守られることになりました。神様はあらかじめイスラエルにおっしゃいました。「わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。」(創世記44.3-4)エジプトで同化せず、かつ、そこで大いなる国民となり、再びカナンの地に連れ戻すのが神様のご計画でした。
僕らも相手に気に入られなくても自分の生き方や信じていることを周りに正直に話す必要があります。それで距離ができても大丈夫です。教会とはギリシャ語のエクレシア、つまり「この世から呼び出された者たちの集まり」という意味です。なので、この世と同化しません。(ローマ12.2、2コリント6:14-18など)かと言って世の中の人と全然交際しないように、という意味ではないし、クリスチャンだけの世界にこもることでもありません。(1コリント5.9-10)罪に加わることはないけども、罪人の友となり、この世に出て行って世界を愛し、仕え、福音を伝えるのが僕らの役目です。今日もこの世に気に入られようとしすぎず、失礼にもせず、ごまかすこともせず、神様に選ばれた者として正直に神様と隣人を愛する日でありますように!
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