2023年7月13日木曜日

1コリント7.25-40

 1コリント7.25-40


よくある質問に「信仰のない人と結婚してもいいの?」があります。聖書の答えは明白で「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」です。(マタイ6.33)与えられるものは「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか」などなど地上のこと全部です。(マタイ6.31)結婚を考えるときに、好きだから、とか、性格が、収入が、子ども欲しい、安心できる、寂しいから、見栄えがいいから、性欲満たされるから、などなど地上のことだけで考えがちですが、聖書は「この世と調子を合わせてはいけません。」(ローマ12.2)世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。」(31)「ひたすら主に奉仕できるようになるため」(35)などなど神様優先で判断するように言います。


「信仰のない人と結婚してもいいの?」の答えは、神様と隣人への愛が減るか増えるのか、で決まります。信仰者同士の結婚でも同じです。結婚によって心が分かれ、思い煩い、苦しみが増すこともあります。だからと言って結婚禁止ではありません。パウロは結婚することは「罪を犯すのではない」と明言しています。(28)でも、結婚によって心がこの世と神様に分かれてしまう、とも警告しています。



(32-35)

32,あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。

33,しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、

34,心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。

35,私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。



この世とは軽いタッチでいきなさい、神様とは濃厚にいきなさい、と言われているようです。地上のことは一時的です。旅人であり寄留者にすぎません。だから、目をとめるべきは天にあるものです。(ヘブル11.13)結婚したらバラ色の人生、ではなく、むしろ結婚によって抱える苦難があります。相手の借金は自分の借金と見なされるように課題は共有事項とになり、子どもが与えられるとさらにそれは増えていきます。相手が軽薄で神様について間違った意見の持ち主だとさらに思い煩いは増えます。



(25-35)

25,未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。

26,差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。

27,あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。

28,しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。

29,兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。

30,泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。

31,世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。



繰り返しますが、結婚禁止ではありません。聖書は言います。



(36-38)

36,ある人が、自分の婚約者に対して品位を欠いたふるまいをしていると思ったら、また、その婚約者が婚期を過ぎようとしていて、結婚すべきだと思うなら、望んでいるとおりにしなさい。罪を犯すわけではありません。二人は結婚しなさい。

37,しかし、心のうちに固く決意し、強いられてではなく、自分の思いを制して、婚約者をそのままにしておこうと自分の心で決意するなら、それは立派なふるまいです。

38,ですから、婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。


結婚するかしないか、よりも僕らの地上の人生が何を目的にしているかが大事です。人生の目的は「神の栄光を現すため」です。結婚は神様のかたちの現れであり、本来完璧な良いものです。(エペソ5.30-32、創世記1.27、創世記2.23-25)一人でいるのは良くないとさえ神様は言われました。(創世記2.18)その素晴らしい結婚が罪によって苦しみを生むものになってしまいました。イエス様による赦し、回復、愛が中心でなければ今は結婚は苦しいだけです。一方、福音が中心の結婚は素晴らしいです。御霊によって、イエス様の憐れみによって、赦され続け、変えられ続けます。二人でよりよく主に仕えることが出来る結婚は可能です。お互いを尊重し愛し生かしていく結婚は可能です。一人で祈るよりも、二人でますます祈りが深まるという結婚は可能です。同時に、それと反対に、主のために独身を選択することも尊く、主に喜ばれる選択です。どちらにしても、主だけが讃えられ、主のために生きることができます。主は僕らを良いことのために造られました。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿