2023年8月29日火曜日

士師記19章

 士師記19章


士師記19章の15節以降は聖書の中でもっとも狂った人たちのレイプと殺人の悲惨な話です。そして、これが神様を離れた人間の姿です。僕らがこの話を読んで「ひどすぎる」「残酷だ」と思うならそれは神様の憐れみで与えられている恵みです。神様から離れた人は悪魔の支配下にあり、良心を失い、人を人と思わなくなってしまいます。聖書は神様から離れた人の悲惨さをありのままに書いています。

あるレビ人が逃げた側女を連れ戻す帰り道の話です。レビ人とは本来神様に仕える人です。その人が性的な満足の目的のためだけに側女を持っていました。逃げた女性を取り戻し、帰り道、ギブアという町である老人の家にとめてもらいます。そこで、淫らな欲望に狂った男たちに囲まれてしまいます。



(20-22)

20,老人は言った。「安心なさい。足りない物はすべて私に任せなさい。ただ、広場で夜を過ごしてはいけません。」

21,こうして老人は彼を自分の家に連れて行き、ろばに飼葉をやった。彼らは足を洗って、食べて飲んだ。

22,彼らが楽しんでいると、なんと、町の男たちで、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで戸をたたき続け、家の主人である老人に言った。「おまえの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」



知りたい、とはセックスしたい、ということです。男と男でやりたい、ということです。



(23-24)

23,そこで、家の主人であるその人は、彼らのところに出て行って言った。「それはいけない、兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。あの人が私の家に入った後で、そんな恥ずべきことはしないでくれ。

24,ここに処女の私の娘と、あの人の側女がいる。今、二人を連れ出すから、二人を辱めて、あなたがたの好きなようにしなさい。しかしあの人には、そのような恥ずべきことをしないでくれ。」



この老人は自分の娘もを差し出す、と言いました。あの人の側女を差し出す、とも言います。

飢えた狼のような男たちに、自己保身のために自分の娘を差し出す老人がいます。狂ってる男たちの中に自分の側女を差し出す人がいます。結局、差し出されたのはこの側女です。

このレビ人は、野良猫の首を捕まえて放り出すように、側女をその男たちのところに出し、女性は朝まで大勢の男たちにレイプされ、意識を失いました。



(25-27)

25,しかし、男たちは彼に聞こうとしなかった。そこで、その旅人は自分の側女をつかんで、外にいる彼らのところへ出した。彼らは彼女を犯して、夜通し朝まで暴行を加え、夜が明けるころに彼女を放した。

26,夜明け前に、その女は自分の主人がいるその人の家の戸口に来て、明るくなるまで倒れていた。

27,彼女の主人は、朝起きて家の戸を開け、出発しようとして外に出た。見ると、そこに自分の側女である女が、手を敷居にかけて家の入り口で倒れていた。



朝方になって這って玄関まできて意識を失っていた側女を見ても、このレビ人は全く気にもしませんでした。彼が言ったことはたった一言。



(28)

彼は女に「立ちなさい。さあ行こう」



自分を守るために彼女を犬に食わせるかのように、野獣の餌にするかのように差し出します。

人間は神様から離れると、人は獣のようになり欲望のままになります。この人は側女を連れ戻そうとしましたが、その女性のことはどうでも良かったことがわかります。ただ、自分のためだけに利用したかっただけです。


神様から離れた人は欲望の奴隷となっています。ブレーキが効きません。自分の力では止めることができないし、悪いとも思わなくなります。罪の報酬は死です。しかも、これが「それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」という聖書は言います。(17.6)神様から離れた人は欲望のままに生きることが良いことに見えます。


この話を聞いて、残酷だ、気持ち悪い、と想う人は幸いです。義に飢え渇く人は幸いです。自分の残酷さに悲しむ人は幸いです。その人は聖霊が与えられている人です。聖霊によってだけ罪はわかります。神様から離れていることがわかります。


イエス様がいなければ、僕らの道は滅びです。自分の欲望のために殺し合い、利用しあい、ただ死んでいくだけのものです。

イエス様に感謝しましょう。彼らは自分の目に良いと思っていたけど、実は暗闇の力、悪魔の力の圧制の中でコントロールされていました

その悪魔の世界からイエス様が救い出してくださいました。


自分の歪みを認める人は幸いです。自分の罪を認める人は幸いです。自分の愚かさにがっかりしているなら幸いです。イエス様がそんな僕らをゆるし、きよめてくださいます。ハレルヤ!











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