士師記20.1-15
僕らはいつも「自分は悪くない。ヒドいのは相手」と言いたいものです。100ゼロで相手が加害者、自分が被害者です。ところがイエス様は言われます。「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。(…中略…)偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。」(ルカ6.41-42)
側女がレイプされ殺された男は、それをイスラエルの国中にアピールします。それは「こんなにひどいことをされた!」と言いますが、レイプさせた自分の残酷さや罪は言いません。強烈に主張するために殺された女性の死体を切り分けて、各部族に送ります。それによって、国中の人たちは驚き、怒り、興奮して集まって来ます。
(19.29-30)
29,彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分の側女をつかんで、その肢体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送った。
30,それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ」と言った。
(20.1-6)
1,そこで、イスラエルの子らはみな出て来た。ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に及ぶその会衆は、一斉にミツパの主のもとに集まった。
2,民全体、イスラエルの全部族のかしらたちが、神の民の集会に参加した。剣を使う歩兵も四十万人いた。
3,ベニヤミン族は、イスラエルの子らがミツパに上って来たことを聞いた。イスラエルの子らは、「このような悪いことがどうして起こったのか、話してください」と言った。
4,殺された女の夫であるレビ人は答えた。「私は側女と一緒に、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。
5,すると、ギブアの者たちが私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと図りましたが、彼らは私の側女に暴行を加えました。それで彼女は死にました。
6,そこで私は側女をつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの全相続地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で淫らな恥辱となることを行ったからです。
彼は事実を曲げて報告します。実際、女を狂った男たちに与えたのはこの人です。(19.25)でも、そのような残酷さや罪は隠します。彼女が朝まで暴行され気を失って倒れていた時も、彼は気せず、介抱せず、治療せずに見殺しにしました。(19.28)ところが彼は全国に「彼らがイスラエルの中で淫らな恥辱となることを行った」(6)と主張し、人々の怒りをあおります。実は性的な満足のために最初に彼女を利用していたのはこの人です。でも、悪いのはあいつら、正しいのは私、と主張します。
これが神様から離れた僕ら人間の本性です。罪は罪を生み、怒りは怒りを生みます。これによってイスラエルは互いに攻撃し合い大混乱になっていきます。罪を告発し、互いに責め合いさらに殺し合うようにさせるのは悪魔の大好物です。(黙示録12.10)
神様から離れた人の姿を聖書は赤裸々に教えてくれています。この人が悪くて、また、レイプした人たちが悪くて自分は正しい、と僕らも言いたげです。でも、神様から離れた僕らは全く同じになります。今、僕らが罪から解放され、他人を大事にしたいと思えるのは100パーセント神様から与えられた恵みです。イエス様が身代わりにその呪いを受け、僕らを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して解放してくださったからです。(コロサイ1.13)
「私が正しい。相手が悪い」のではありません。誰も自分を上に置くことはできません。イエス様だけが正しい方であり、イエス様だけが正しくさばく真理のお方です。僕らは憐れみを受けた罪人です。
他人の罪にイラッときたらチャンスです。僕らにはもっと大きな罪があります。(ルカ6.41-42)その罪は僕らの姿です。まずは自分の罪を認めましょう。あの醜い罪は僕らの本性です。まずは自分から悔い改めましょう。イエス様以外に救いはありません。
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