ヨエル1章
食糧危機があり、戦争があり、人々の希望は失せて行きます。今も僕らはその渦中ですが、将来はもっとはっきりと、神様の裁きとしての苦しみの時代が来ることは聖書にハッキリと預言されています。「なんでこんなことが…」「あの国のあの独裁者が悪い」と僕らは言い、「こうして乗り切ろう」と知恵と力を総動員しますが、聖書はなんと、「全能者(神)による破壊の日として、その日は来る。」と言います。(16)昔起こった数々の飢饉や戦争、そして今もこれからも起こる苦しみは神様に戻るための神様からのメッセージです。聖書は自然災害による飢饉と戦争を重ねています。そして、両方とも神様からの警告であり、僕ら人間が悔い改めて神様に戻るためのメッセージです。
(4-7)
4,噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。
5,目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ、すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。
6,ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数えきれない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。
7,それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。
目的は僕らが今まで神様以外で満足し幸せになろうとしていたことをやめ、方向を変えて神様に向かうことです。「目を覚ませ、酔いどれよ。」(5)と神様は言われます。神様ではなく、神様が与えてくださったワインで満足し、幸せになろうとしてならそれはもはや偶像であり、神様を無視した快楽です。神様はわざわざ神様を忘れた快楽や幸せを断ち切って、もう一度全てを与えてくださる神様に戻るようにと呼びかけておられます。
(13-14)
13,粗布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って粗布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。
14,断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫び求めよ。
15,ああ、その日よ。主の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。
16,私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。
今の僕らの苦しみは、将来世界規模で起こり、この世の終わりが来るための準備です。「全能者による破壊の日として、その日は来る。」と聖書は言います。(15)準備とは、悔い改めて神様に戻ることです。イエス様は、「悲しむ人は幸い」とおっしゃいます。(マタイ5章)この世の満足だけを求めていたことを認め、神様に戻ることができるからです。ワインがダメとか、娯楽がダメとかいう意味ではありません。「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる」のは神様ご自身です。(1テモテ6.17)ところが、僕らは神様よりもお金を神様にし、快楽を神様にし、自分の快適さを神様のように第一に求めがちです。
神様が僕らに与える苦しみは教育です。愛されている子どもは訓練を受けて矯正されます。(ヘブル12.6-7、1コリント11.32)やがて本番が来ます。本当にこの世の全てが消え去ります。今の苦しみは僕らがが罪を捨てて神様に戻るための通過点です。主を求める人には良いものに欠けることがありません。(詩篇32.10-11)喜びはこの世の楽しみから来るのではなく、天から与えられます。主を第一とする人には全て必要が与えられ、終わりの日も守られます。(マタイ6.33、ヨハネ3.16-18)
苦しみは神様からの愛のメッセージです。悔い改めましょう。神様に戻りましょう。祈りましょう。自分の罪も、隣人の罪も、あの独裁者の罪も、一緒に謝りましょう。祈りましょう。戻りましょう。神様からの愛の警告です。
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