ルツ2章
「神様からの祝福がありますように」と祈るし、言います。「主が共におられますように」とも祈るし、言います。じゃあ、実際に神様がどのように相手を祝福してくれるのか、というと、僕らの行動が用いられます。相手の祝福を祈ることは、僕らが神様の器として用いられることです。また、僕らは神様の救いや助けを求めます。じゃあ、実際にどうやって助けが与えられるのか、というと、やはり神様は人を用いられます。僕ら人間は神様の祝福を具体的に行動で表す神様の器のようです。
(ヤコブ2:16-17)
あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
ルツはイスラエル人の夫を失ったモアブ人でした。モアブ人は外人です。でも、ルツは夫の母が信じるイスラエルの神様を慕い、義母を慕ってベツレヘムに移住してきます。ルツの信仰と願いはこうです。
(1.16-17)
ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。(…中略…)もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
神様を求める人に神様は答えてくださいます。ユダヤ人であっても外人であっても差はありません。貧しい移住者ルツは落穂を拾って食糧にするしかありませんでした。が、はからずもその畑は有力な、しかも、信仰的な、しかも、亡くなったルツの夫の父の親戚でした。
(2-3)
2モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。
3ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
ベツレヘムの有力者ボアズはそこで働く従業員たちと会うたびに彼らを祝福していました。また、従業員たちもボアズを祝福していました。神様の祝福と愛が現れているような畑でした。
(4)
ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て、刈る人たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。
彼らの祈りや祝福は口先だけではありません。神様の祝福と恵みはボアズを通して、そして従業員たちを通して現れます。神様はルツをその畑に導き、神様からの祝福がボアズと従業員たちを通して注がれます。
(8-13)
8ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません。ここから移ってもいけません。私のところの若い女たちのそばを離れず、ここにいなさい。
9刈り取っている畑を見つけたら、彼女たちの後について行きなさい。私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲みなさい。」
10彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」
11ボアズは答えた。「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。
12主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
13彼女は言った。「ご主人様、私はあなたのご好意を得たいと存じます。あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのはしための一人にも及びませんのに。」
ボアズは従業員たちにルツに親切にするように言い、昼食もたっぷり与えます。本来、貧しい外国人は畑に落ちている穂だけもらえることになっていました。(詳しくはレビ記19.9-10)でも、ボアズはなんと、わざと収穫の穂を落としてルツがたくさん拾えるように言います。ルツは1日で一エパ(22リットルくらい)の大麦をもらえました。
(14-17)
14食事の時、ボアズはルツに言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る人たちのそばに座ったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。
15彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若い者たちに命じた。「彼女には束の間でも落ち穂を拾い集めさせなさい。彼女にみじめな思いをさせてはならない。
16それだけでなく、彼女のために束からわざと穂を抜き落として、拾い集めさせなさい。彼女を叱ってはいけない。」
17こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。集めたものを打つと、大麦一エパほどであった。
神様の愛と祝福は僕らの行動を通して与えられます。僕らの手足も口も神様の祝福を他の人に流す器です。僕らからは愛は出ないし、祝福も出てきません。でも、神様は無限の愛と祝福を持っておられます。僕らの体も心も生きているささげものとして明け渡しましょう。(ローマ12.1)もはや僕らが生きているのではなく、キリストが私たちのなかに生きておられます。(ガラテヤ2.20)僕らは神様と一緒に神様の愛を表すために造られました。今日、手足が口が心が賜物が用いられる日です。ハレルヤ!
(エペソ2:10)
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
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