2023年9月13日水曜日

2コリント5.14-21

 2コリント5.14-21


隠されている罪を暴くとか、責任を追求するとか、なんか正義のヒーローっぽく見えるし、ワクワクします。「自分が声を上げねば」とも思います。前提として僕らは「自分はいい人、相手が悪い人」と思っているようです。


暴露とか告発大好きな僕らですが、神様は違います。「背きの責任を人々に負わせず」と聖書にあります。(19)人は他人をその人の過去とか、性格の長所短所とか、立場とか業績とかで見ますが、聖書は「私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。」と言い切ります。(16)人があれをした、これをした、という人間的なことで評価しないし、そもそも、その人がキリストを信じ受け入れた時点でその人の過去は「死んだ」と言います。



(14-17)

14,私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。(…中略…)

16,ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

17,ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



傷も恥も罪もある僕らは死にました。もういません。過去は過ぎ去りました。そして、イエス様と一緒に新しく造られ、新しく生まれました。だから欠点とか性格で評価する必要は無くなりました。「今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。」「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(16-17)


でも、実際、過去にやらかした悪影響はあります。その罪に対する神様の怒りと責任追求はあります。その神様の怒りと呪いはイエス様が引き受け、罪人となり、死んでくださいました。


(21)

神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。



僕らは神様から「無罪」と言われます。それは僕らが償いをしたからではなく、イエス様がその罪を全て引き受けてくださったからです。僕らが良くなったのではなく、神様が「神様の義」(21)を与えてくださるからです。

もう、仲間のことも自分のことも、あれをやらかした人、と思い出す必要はありません。義とされた人、赦された人、新しく造られた人です。


神様は責めてません。ああだこうだ言うのは人間だけです。神様は和解を、そして義を与えてくださってます。

このメッセージを僕らは神様から預かりました。隣の人に伝えましょう。神様は責めていません。


(18-20)

18,これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。

19,すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

20,こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。


今日も神様の視点で人を見ることができますように。そして、この和解と再生のメッセージを一人でも多くの人が知ることができますように。ハレルヤ!





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