2コリント6章
神様の恵みと愛は僕らが思うよりもずっと大きく、毎日、この瞬間も注がれています。ただ、問題は僕らがそれを知らず、よそ見をしていることです。流しソーメンが大量に来ているのによそ見をしてムダにしているみたいです。ジュースが注がれているのにコップを出さなかったり、蓋をしてたりしてムダにこぼしているようです。
(1-2)
1,私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
2,神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
パウロがコリント教会の皆さんに注ぐ愛は神様からの愛です。パウロは「神とともに働く者」です。神様の恵みと愛はパウロを通して注がれているのに、受け取る側が心を狭くして受け取り損ねているようです。
(11-13)
11,コリントの人たち、私たちはあなたがたに対して率直に話しました。私たちの心は広く開かれています。
12,あなたがたに対する私たちの愛の心は、狭くなってはいません。むしろ、あなたがたの思いの中で狭くなっているのです。
13,私は子どもたちに語るように言います。私たちと同じように、あなたがたも心を広くしてください。
今日も愛と愛も救いも十分に与えられています。だのに、僕らは他のものをアテにしたり、どっちつかずだったりします。他からも欲しがる時に、神様からの十分な愛と恵みをムダにしてしまい、受け取り損ねてしまいます。
(14)
14,不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。
15,キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。
16,神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
神様の願いは、僕らが心を開き、明け渡して信頼することです。神様に愛されている子どもらしく、お父さんを信頼して委ねることです。疑ったり、ほかとの天秤にかけること自体が、もう神様との親密な愛の関係を失わせています。
(17-18)
17,それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、
18,わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」
今日は救いの日、恵みの日です。神様の愛と救いは十分に注がれています。問題は僕らの側です。神様が愛してくれないのではありません。「あなたがたの思いの中で狭くなっているのです」(12)
神様の恵みと愛は僕らが思うよりもずっと大きく、毎日、この瞬間も注がれています。信じて受け取りましょう。神様一筋でいきましょう。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。ハレルヤ!
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