1ヨハネ3.13-24
結婚するかしないか。どこに住むか、どちらに進むか、僕らは迷います。そして、どちらが御心ですか、と祈ります。御心、と言いつつ実は自分の利益損得で考えがちです。神様の願いは神様と人を愛することです。愛するための祈りをするなら、何でもいただくことができると聖書は断言します。
(16-18)
16キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
17,この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。
18,子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。
愛とは、相手のため、神様のために自分を捧げ、自分を失い、与え、行動することです。愛は自分のいのちを捨てることです。これが愛だと聖書は言います。そして、それを願うなら祈りは必ず聞かれます。求めていることは与えられると聖書は断言します。
(22-24)
22,そして、求めるものを何でも神からいただくことができます。私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。
23,私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。
24,神の命令を守る者は神のうちにとどまり、神もまた、その人のうちにとどまります。
自分を捨てて、自分の願いを捨てれば捨てるほど、そして、神様の心、神様の願いを求めるほどに、祈りが聞かれます。主の祈りも同じです。自分の思い通りでなくていいです。御心がなりますようにと祈ります。
神様の願いの通り、苦手な人を愛し、自分をのろう人を祝福し、悪に対して善で返すことです。それを願った時にそれはもう叶えられています。聖書は何度も繰り返しています。神様を愛すること、人と人が愛し合い、赦し会う、互いに犠牲を払い、忍耐することです。イエス様がそうしてくださったからです。神様の願いそのものです。
その祈りは聞かれます。もう聞かれました。実現しました。それが確信です、と聖書は言います。
(5章14-15)
14,何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
15,私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。
祈りもしないでああだこうだいう前に、祈るべきです。祈ったらもうそれは実現しています。あとは行動するだけです。あの人と和解できないのは、あの人に苦手意識があるのは、祈ってないからです。御心にかなう祈りをしたら、もうそれは叶えられたのです。
今日も祈りましょう。自分の願いは一旦捨てて、神様の思い通りになるように、祈りましょう。それは実現します!
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