2023年10月25日水曜日

Ⅰヨハネ4.7-12

 Ⅰヨハネ4.7-12


僕らのほんわかした愛のイメージと、神様が与えてくださる愛は全然違います。それはキュンとか、いい感じになることではなく、自分を苦しめる人、自分に反対する人、自分を憎む人、自分の敵のために自分を捨て、与えるものです。人間にはあり得ないものです。



(3章16節)

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。



(10-11)

10,私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

11,愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。



(ローマ5章8節)

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。



この愛は自分からいくら振り絞っても出ません。神様によってのみ与えられます。聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5.5)神様は愛そのものです。神様から生まれた人限定でこの愛は与えられます。



(7-9)

7,愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。

8,愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

9,神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。



この無償の愛、犠牲の愛は神様の愛は僕らがそれを行動に現すことで完成されます。神様は見えませんが、その愛は見ることができるし、表すことができます。そうするように命令されています。



(12)

いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。



神様は自分に喜びを与えてくれる人を愛するのと同じように、自分を苦しめる人も愛します。自分に賛同してくれる人を愛するのと同じように、反対する人を愛します。自分を愛してくれる人を愛するのと同じように、自分を憎む人も愛します。これは自分の命を捨て、愛する御子イエス様を十字架で犠牲にして敵を、罪人を愛し救おうとなさる愛です。


あり得ない愛が与えられています。そして僕らもそれができます。自分はできないけど、神様がそうなさいます。神様は愛だからだからです。(7-8)愛することは自分を捨てることです。愛することは自分の利益を求めず、苛立たず、他人の悪を心に留めないことです。愛は与えることです。忍耐することです。裁かず、赦すことです。(1コリント13.4-7)神様は愛です。今日、僕らが神様に心も体も明け渡し、神様の愛を現す器とされますように。

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