2023年10月12日木曜日

アモス3章

 アモス3章


なんでこんな悲惨なことが…。なんで神様は殺し合いを止めないのか…。僕らの疑問です。でも、聖書は明らかにその原因は私たちの「罪」だと言いきります。神様に似せて造られた人間の本当の姿は争いも叫びも苦しみもないはずでした。(創世記1.26-27)人が神様に背いた日から土地は呪われ、人と人は争い、殺し合うようになりました。(創世記3-4章)


神様の願いは殺し合うことではなく、愛し合い、生かし合うことです。そのために神様の愛と祝福のための教えを最初に託したのがイスラエルです。イスラエルは神様の愛する子、祝福の子、愛する妻のようです。そして、イエス様を信じるクリスチャンも同じく神様の愛と祝福といのちのことばを託されている神様の相続人です。(ガラテヤ3:28-29、1ペテロ3.9)



(1-2)

1,「イスラエルの子らよ、聞け。主があなたがたについて告げた、このことばを。わたしがエジプトの地から連れ上った、あなたがたすべての部族についてのことばを。

2,わたしは、地のすべての種族の中から、あなたがただけを選び出した。



イスラエルは祝福された、選ばれた民です。…が、神様を裏切り続けました。裏切るなら呪われることは何度も聞いていたはずでした。(申命記など多数)このアモスの預言が書かれた時代、イスラエルは富と繁栄と偶像に酔いしれ、神様を忘れた時代です。それゆえに神様はイスラエルを周辺諸国を用いて攻撃します。



(2)

それゆえ、あなたがたのすべての咎のゆえにわたしはあなたがたを罰する。」



イスラエルが敵から攻撃されるのは、「あなたがたのすべての咎のゆえ」です。しかも「わたし(神様)はあなたがたを罰する。」と言います。僕らの心は人のことだけに奪われ、どっちが悪い、あっちが悪い、と憎しみと復讐心を刺激され続け、その結果、怒りは制御できなくなり爆発します。そんな僕らでも、イエス様が与えてくださる御霊は「人のした悪を思わず」(1コリント13.5)赦し、愛し、忍耐し、祈る新しい心を与えてくださいます。神様は「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」と言います。(コロサイ3.2)神様だけが正しく報復されます。だから僕らは復讐が禁じられています。(ローマ12.19)



(13-15)

13,聞け。ヤコブの家に証言せよ。──神である主、万軍の神のことば──

14,まことに、イスラエルの背きのゆえにわたしが彼の上に報いる日に、わたしはベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折られ、地に落ちる。

15,わたしは冬の家と夏の家を打つ。象牙の家は滅び、大邸宅も消え失せる。──主のことば。」



(2章4-8節)

4,主はこう言われる。「ユダの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが主のおしえを捨てて、その掟を守らず、先祖がつき従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。

5,わたしはユダに火を送る。その火はエルサレムの宮殿を焼き尽くす。」

6,主はこう言われる。「イスラエルの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、履き物一足のために貧しい者を売ったからだ。

7,彼らは、弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げている。子とその父が同じ女のもとに通って、わたしの聖なる名を汚している。

8,彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を自分たちの神の宮で飲んでいる。



悲惨な戦争を見聞きする時、僕らは「なんでこんなひどいことが起こるのか?」と思います。聖書はそれを「主がそれをなされた」と言い、僕らに警告されます。



(6-7)

6,角笛が町で鳴らされたら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起こったら、主がそれをなされたのではないか。

7,まことに、神である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。



「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6.23)イエス様は何度も悔い改めるように言われました。今も同じです。僕らは殺し合うように造られていないし、そもそも、死ぬようには造られていません。死の原因も戦争の原因も僕らの罪です。しかし、今、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。イエス様だけが僕らを新しくし、内側から作り替えてくださいます。イエス様を信じる人はどんなに罪が大きくても憎しみや怒りが大きくてもそこから解放され、赦され、永遠のいのちを得ます。死後の命だけでなく、地上にいる今から敵を愛し、赦し、肉体の死を恐れない人に変えられます。(マタイ10:28)人のことば、情報も大切だけど、それよりも神のことばを求めましょう。イエス様は何度も戦争や暴動、地震や飢饉があると僕らに言われてました。それは、恐れさせるためではありません。イエス様の赦しといのちに目を向けさせ、希望を持ち忍耐して祈り続けるためです。



(ルカ21.32-33、36)

まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。


36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」



他人事でなく謝りましょう。自分の罪も、家族の罪も、友達の罪も、ハマスの罪もイスラエルの罪も、謝りましょう。義人は一人もいません。(ローマ3.9-18)神様の裁きは正しく行われます。そして、イエス様だけが僕らを赦し、憎しみのあるところに和解を与え、敵意を廃棄され、永遠のいのちを与えてくださる方です。(エペソ2章)僕らは憎しみや恐れを拡散するのではなく、福音を拡散するものです。憐れみを求め、自分のこととして悔い改め、祈りましょう。


(1ペテロ3:9)

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

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