箴言10.17-32
聖書は言う「正しい人」とは主を信頼する人のことです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。(ローマ1.17)その人は神様から与えられる訓戒を大事にします。しかも、それは楽しみです。神様の知恵は僕らに喜びと希望を与えるものです。
(17節)
訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は人を迷わせる。
(23節)
愚かな者には悪事が楽しみ。英知のある者には知恵が楽しみ。
反対に、「正しくない人」は自分の知恵や判断を優先する人です。人間の一番最初の罪は「目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる」と言う高ぶりです。(創世記3.5)神様に聞かない自分だけの判断は消えていく価値のないものです。反対に、神様のことばを信頼する判断は祝福されます。その人の言葉は人を愛し養う言葉です。神様の願いがその人の言葉になるからです。
(18節から22節)
憎しみを隠す者は偽りの唇を持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。
ことば数が多いところには、背きがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人。
正しい人の舌は選り抜きの銀。悪しき者の心は無価値に等しい。
正しい人の唇は多くの人を養い、愚か者は良識がないために死ぬ。
人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。
(30-32節)
正しい人は永遠に揺るがされることがない。しかし、悪しき者は地に住むことができない。
正しい人の口は知恵を実らせる。しかし、ねじれた舌は抜かれる。
正しい人の唇は好意を知っており、悪しき者の口はねじれごとを知っている。
神様の言葉を聞いて信じている人は望みが叶います。神様の願いと自分の願いが同じだからです。逆に、高ぶって自分のことばを押し通す人の期待は消え去り、恐れていたことが降りかかります。
(24節)
悪しき者の恐れることはその身に降りかかり、正しい人の望むことはかなえられる。
(28節)
正しい人の望みは喜び。悪しき者の期待は消え失せる。
神様の心に染まっていくことは祝福です。それは神様を恐れてその言葉や訓戒に染まっていくことです。今日も周りは暗い出来事やニュースばかりに見えます。…が、その中でも神様を第一に求めましょう。そこにこそ喜びと希望があります。大丈夫です。「正しい人の望みは喜び」です。(28)ハレルヤ!
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