箴言11章
僕たちの口とお金は、神様と人を愛し祝福するために預かっているものです。僕らの口は神様の口、僕らの財布は神様の財布です。神様は人間を通さなくても人を励ましたり潤したりすることができますが、多くの場合、僕らをキリストの体の器官として、枝として、人々に良いものを与えるために用いられます。しかも、他の人を潤す人は自分も潤され、他の人を祝福する人は祝福されます。
(25節)
おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。
人を潤そうとする人は神様の側につく人です。反対に、ずるをしたりケチったりして人から少しでも奪おう、儲けようとする人は神様に敵対することです。
(1節)
欺きの秤は主に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。
(24節)
気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。
(26節)
穀物を売り惜しむ者を民は呪う。しかし、それを売る者の頭には祝福がある。
口の使い方も同じです。ことばで傷つける人は神様を敬わない人です。傷つけた相手は神様にとって大切な人です。ことばは個人のみならず、そのグループや町や国を祝福することばにもなり、また同時にそれらを破壊することばにもなります。
(10節-11節)
町は、正しい人の繁栄に小躍りし、悪しき者が滅びると、喜びの声をあげる。
直ぐな人の祝福によって、町は高く上げられ、悪しき者の口によって、破壊される。
ニュースやSNSは、他人の欠点を攻撃することを好みがちです。「あなたがたのからだの中で戦う欲望」があり、うらやんだり妬んだり欲しがったりするからだと聖書は言います。(ヤコブ4.1-2)
真実を明らかにするのは大事ですが、もっと大切なのは隣人をを祝福しようとしているのか、それとも蔑んでいるのかです。
(12節-13節)
隣人を蔑む者は良識がない。英知のある者は沈黙を守る。
人を中傷して回る者は秘密を漏らすが、霊が忠実な人は事を秘める。
お金の正しい使い方は他の人を祝福するため、そして口の使い方も同様です。祝福する事は何でも肯定し受け入れることではなく、必要なときには愛して戒めることです。自己保身ばかり考える人は戒めることも関わることも避けがちです。聖書は互いに愛することと、互いに戒めることをセットとしています。「気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。(…中略…)お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。」(1テサロニケ5.14-15)愛のある指導や助言は相手を、そして相手のみならずグループや町や国を救います。
(14節)
指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。
僕らのお財布は神様の財布、僕たちの口は神様の口です。今日他の人を励まし、潤し、祝福しましょう。受けるより与えましょう。そこに神様に喜びと祝福があります。『受けるよりも与えるほうが幸いである。』(使徒20.35)ハレルヤ!
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