2023年11月9日木曜日

箴言1.20-33

 



箴言1.20-33


災害にも戦争にも出口が見えず、恐れが付きまとう理由があります。それは僕らが主を恐れず、主のことばを求めないからです。

頭のいい専門家がどんなに語っても、世界を治め、滅ぼす権威のある神様のことばではありません。いくら僕らが賢く敵の間違いを指摘し批判しても、そこに安心はありません。神様は今日僕らに語っておられます。「おまえたちは、いつまで浅はかなことを愛するのか。嘲る者は、いつまで嘲ることを欲するのか。」と。(22)神様のことばに、その叱責に立ち返れ、と呼びかけてくださっています。



(20-25)

20,知恵は大通りで叫び、広場でその声をあげ、

21,騒々しい街角で叫び、町の門の入り口で、そのことばを語る。

22,「浅はかな者よ、おまえたちは、いつまで浅はかなことを愛するのか。嘲る者は、いつまで嘲ることを欲するのか。分別のない者は、いつまで知識を憎むのか。

23,わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。

24,わたしが呼んだのに、おまえたちは拒んだ。手を差し伸べたのに、耳を傾ける者はなかった。

25,おまえたちはわたしの忠告をすべてなおざりにし、わたしの叱責を一つも受け入れなかった。



神様のことばを恐れることが解決です。不思議なことですが、神様を恐れると敵や状況を恐れなくなります。そして聖書はイエス様こそ神のことばだといいます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ15.6)イエス様を求め、そのことばに従う人は安全です。


(33)

しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである。」



神様は「おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。」と言われます。(23)神様のことばと霊に満たされた結果は平安です。(ヨハネ14.27、16.33、ローマ8.6、ガラテヤ5.22など多数)主を恐れるなら、体を殺せても、魂を殺せない人を恐れることがなくなります。(マタイ10.28)僕らが恐れるべき人はただ1人です。それは主ご自身です。僕らはいつまで時間をかけて検索し、人のことばを求め、お互いに批判し、不安になっているのか、と言われているかのようです。(22)


僕らがいつまでも右往左往する理由は、主のことばを聞かないからです。僕らが人を恐れ、災いのニュースを恐れる理由は神様を恐れないからです。「主を恐れることは知識の初め。」です。(7)そして、主のことばに聞き、ひれ伏して従う時、人間的な恐れは消え敵意は虚しいものになっていきます。イスラエル人とアラブ人の間にある敵意を葬り去るのは、イエス様だけです。

イエス様だけを恐れ、ひれ伏す時に人間的な恐れや、敵意は虚しいものとして消えていきます。


イスラエル人とアラブ人が一緒にイエス様の前にひれ伏している動画を添付します。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」ハレルヤ!(エペソ2:14-15)









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