2024年1月3日水曜日

マタイ3章

 マタイ3章


神様は今日も僕らを愛しています。僕らのことを「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」と言ってくださっています。神様からイエス様への愛と喜びは、僕らにそのまま適用できます。



(16節から17節)

イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」



イエス様は神様の愛する子であり、喜びの子です。そして、同じように僕らも愛され喜ばれている子です。「父(神様)がわたし(イエス様)を愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」です。イエス様への愛は僕たちに適用できます。(ヨハネの福音書15章9節)


この瞬間も僕は喜ばれ愛されています。それで充分です。誰かに嫌われても、攻撃されても、抱き締められ、愛され、喜ばれてます。神様とイエス様の愛の一体性は僕らに適用できます。イエス様は「わたしたち(神様とイエス様)が一つであるように、彼ら(クリスチャンとイエス様)も一つである」と言われます。(ヨハネ17.22)また、「あなた(神様)がわたし(イエス様)を愛されたように彼ら(クリスチャン)をも愛された」と言われます。(ヨハネ17.23)「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(17)と言われる神様です。喜ばれ愛されていることがわかるほどに、それ以外で愛されようとか、満たされようとか、認められようとか思わなくなります。


「バプテスマ」はギリシャ語で浸される、とか、一体とされる、と言う意味です。イエス様は僕らに聖霊のバプテスマを与えてくださっています。聖霊に満たされることは、神様の愛と喜びに満たされることです。(ガラテヤ5.22)その時に、自分が今まで大事だったものが不要になります。音楽業界でよく「やる気がある歌手志望の子も、男ができたら辞める」と言われていました。同感だし、僕も同じです。神様に愛され喜ばれていることを知れば知るほど、業界で認められることは必要なくなっていきました。


神様の国は、神様からの愛と喜びで満たされた国です。そして聖霊に満たされたクリスチャンは神様の愛と喜びで満たされた人です。満たされるほどに、不要なものがわかります。神様はそれらを分離して、捨ててしまう方です。この当時、麦と殻を分離するのに「箕」と言う道具を使っていました。大きなザルのような道具です。



(11-12節)

その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。

また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」



ユージン・H.ピーターソンは聖書を現代人に伝わるように意訳した学者ですが、この箇所を次のように書いています。「彼は家を掃除します。あなたの命の家をきよくするのです。彼は主の前に正しいもの(本物)を正しい場所に置きます。不必要なもの(偽物)はゴミと共に燃やして捨てます」


神様の聖霊に満たされるときに、自分は立派なことをしました、とか、律法を守っています、とか、私たちの先祖はアブラハムです、など、業績や血筋とか立場をアピールする必要はなくなります。「悔い改め」とはただ神様に戻ることです。そして、神様以外に頼っていた偶像のようなものを捨てていくことです。神様以外に自分を支えていたものは火に投げ込まれるだけのゴミです。


バプテスマを授けていたヨハネは、自分の肩書きや血筋や業績を誇る人たちを「まむしの子孫たち」と呼びました。つまり、「悪魔の子どもたち」の意味です。この世の栄光や立場に頼らせ誇らせるのは悪魔がすることです。



(7節から10節)

7,ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。

8,それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

9,あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。

10,斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。



僕らは聖霊のバプテスマを受けています。聖霊は今日も不要品を教えてくださいます。いらないものは捨てましょう。終わりの日には焼かれるだけです。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。」(1ヨハネ2.16-17)「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」(1テモテ6.10)

神様が今日も僕らを愛し喜んでくださっています。それで充分です。愛と喜びの神様の御霊が僕らの中に住んでおられます。全てを愛と喜びと平安で満たす方が僕らの中におられます。ハレルヤ!





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