2024年1月2日火曜日

詩篇37篇後半

詩篇37篇後半

 AかBか僕らは迷います。その答えは明確です。どちらが神様を信頼する方か、どちらが神様に全体重を預けるのか、どちらが神様を喜び期待し従うのか、です。損か得か、ラクか、問題が少ないか、かっこいいか、人に受け入れられるかなどは良く見えても正解ではありません。主を喜び、主に信頼し、主に従う方です。それは神様が喜んでくださる道です。



(3節から6節)

3,主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。

4,主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

5,あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

6,主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。



神様はその選択を喜んでくださっています。たとえ転んだりすることがあっても、神様がその人たち支えてくださいます。



(23-24節)

23,主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。

24,その人は転んでも倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。



神様に信頼しないで保険をかけ、人が思う安全圏内を選ぶ人は、本気ではないし二心があるようです。口では良いことを言っても、選択や行動でわかります。口と行いは別、というやつです。自分の判断基準がメインで神様のことばは参考程度、自分の判断が中心でその成功のために神様は力を貸してもらう程度、という傲慢さが僕らにあります。聖書は何度も二心を警告し(ホセア10.2など)「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と繰り返します。(使徒4.12)神様がだけが砦であり、救いです。それが正解です。



(39節から40節)

39,正しい人の救いは主から来る。苦難のときの彼らの砦から。

40,主は彼らを助け解き放たれる。悪しき者どもから解き放ち彼らを救われる。彼らが主に身を避けているからだ。



いくら敵が横暴でも、問題が大きくても、正しい人が殺されたとしても、最終的な裁きは神様がなされます。だから、「主を待ち望め。主の道を守れ。」と聖書は言います。(34)



(32節から34節)

32,悪しき者は正しい人を待ち伏せ彼を殺そうとする。

33,主は悪しき者の手の中に彼を捨て置かずさばきのときにも彼を不義に定めない。

34,主を待ち望め。主の道を守れ。主はあなたを高く上げ地を受け継がせてくださる。あなたは悪しき者どもが断ち切られるのを見る。



神様に信頼し、待ち望み、従い、身を避けることが正解です。「全き人に目を留め 直ぐな人を見よ。平和の人には未来がある。」(37)と聖書は言います。全き人はイエス様だけです。そのイエス様を見上げましょう。全てを手放して委ね切った方、従い切った方です。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても正しく裁かれる神様に全てを任せた方です。殺されても復活された方です。イエス様を今日も見上げましょう。神様に道をゆだねましょう。主が喜んでくださっています。たとえ転んでも「主はあなたを高く上げ地を受け継がせて」くださいます。(34)信頼して体を預けることが正解です。それは主の喜びです。そこには僕らが思う以上の未来があります。(37)ハレルヤ!




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